のむけはえぐすり 第29弾 原善三郎の話 その11 象の鼻と三井倉庫2006年09月30日 22時38分13秒


のむけはえぐすり 第29弾
原善三郎の話  その11 象の鼻と三井倉庫

 関内に三井の色が濃い場所が、二カ所ある。
 
 ひとつは、桜木町駅(旧横浜駅)から弁天橋を渡って、本町通との三叉路から右に分かれたところ、県立博物館の桜木町側、太田町通と相生町通に囲まれた相生町6丁目の一角である。そこに、三井生命ビルがある。太田町6丁目には、商船三井の関連会社宇徳運輸がある。
  
 国立第一銀行は三井組と小野組が中核となって明治6年(1873)にできた銀行である。明治17年(1884)から釜山、仁川、元山での海関税を取り扱い、李氏朝鮮の中央銀行の代わりをしたこともある。もともとは本町5丁目46番地にあった。県立歴史博物館の本町通側だが、三井生命ビルにも近い。設立当時は三井に関係のある銀行なので、本町5丁目も三井の勢力範囲と言えそうだ。
 
 要するに、当時の陸上輸送センターとも言うべき旧横浜駅(現桜木町駅)に、誰よりも近い一等地にあった。

 もうひとつは、太田町通を1丁目まで来ると、みなと大通に突き当たる。その太田町1丁目の角、三井倉庫のある場所だ。突き当たった先は、日本銀行。海の方へ行くと、本町通の角が旧町会所の開港記念館と旧運上所の県庁、さらに行けば、運上所が移転した税関がある。
 
 税関前の海に、大桟橋から赤煉瓦倉庫に向かって突き出た、みすぼらしい突堤がある。「象の鼻」と呼ばれる突堤で、その内側が開港当時の横浜港ということになる。だから、太田町の三井倉庫の場所は、海上輸送のための一等地なのである。それ以上海に近づくと、お上より出過ぎることになる。昔から、越後屋はそんなことはしない。

写真は、「象の鼻」の突堤である。曇り空の荒れた海の中で、少しだけ背中をだした亀のように、目を離すと見失いそうになる。手前から、象の鼻、大桟橋、ベイブリッジが一望できる。
 
 思った通り、関内には二カ所、陸上輸送と海上輸送の一等地に、三井の色の濃い場所があった。

 現代の三井の関連会社を探してみる。
先ほどの三井倉庫は、看板が街路樹に隠れて、気づく人も少ない。実際の倉庫は、氷川丸に面した山下埠頭の一等地にある。
三井物産は日本銀行と日本大通を挟んで向かい側にある。もとは外人居留区なので、どちらかの一等地から、移転したと推測している。 
三井不動産は、神奈川区の栄町にあり、金沢ベイサイドマリーナを管理している。
三井銀行は、本町通2丁目の角の三井住友銀行で、昭和6年に建てられたギリシャ風の円柱のある石造りの建物である。
 
商船三井は商船三井ロジステックという名前で、山下埠頭にある。商船三井は事業規模からいうと日本郵船に負けるが、収益力ではダントツである。日本郵船は関内大通を本町通から海岸通に突き当たったところにあるので、その辺りに前身の三井船舶の痕跡がありそうだが、現在捜索中だ。