甘酢なんとか。。。2006年10月01日 00時14分40秒


美味しいものシリーズ;

重慶飯店の「甘酢なんとか」(なんて言う名前なんでしょうか?Alexさん、教えて) --馴染みのある味です。

ナイスチョット;決定的瞬間22006年10月01日 00時26分08秒


これもナイスチョット!

まさにそのときを切り取れました。

F-cupの創立メンバー(?)2006年10月01日 00時29分54秒


今回は残念ながら直前で参加できなくなったのですがF-cupの創立メンバーのお一人です。

よもやこんなに盛り上がるとは思ってもいなかったでしょう。

次回は11月5日(日) 米原カントリーで高プロも参加されます。
例によって8組限定。
しかも今回はF-cup史上初の「豪華副賞」付き!

美味しい料理と受賞で気分は最高!2006年10月01日 00時34分17秒


優勝と3位です。

美味しい料理と受賞で気分は最高!

第30弾 のむけはえぐすり 原善三郎の話 その12 キリン公園2006年10月06日 23時42分46秒


第30弾  のむけはえぐすり
原善三郎の話  その12 キリン公園

 善三郎の恩人、三井の話がもう少し続く。

 お客:「ビールをくれ!」
 ママ:「うちはキリンですが・・・」
 お客:「三井の人間がキリンなんか飲めるか、ビールはサッポロに決まっている!」

昭和62年に、アサヒのスーパードライが大ブレイクするまで、ビールのシェアはキリンとサッポロが分け合っていた。

キリンビールの起源は、元町から麦田のトンネルを越えた側、今の千代崎町にある。
 
 明治3年(1871)、アメリカ人コープランドさんが、山手123番にスプリング・バレー・ブルワリーを建て、ビール製造・販売を始めたのが、日本のビールの元祖とされている。その場所は天沼と呼ばれ、「清泉滾滾(こんこん)として崖下に湧き、気清く風軟かに、一福春園の書の如し」と写真の碑文に表現されるような、風光明媚な地である。

コープランドさんの会社は、明治18年(1885)に破産する。後藤象二郎さんや渋沢栄一さんとともに、三菱の岩崎弥太郎さんや外国人達が出資して、香港の法人会社ジャパン・ブルワリー・コンパニーとして再建される。それが三菱系と言われる所以だ。社長には外人の名前が何代か続き、長崎のグラバー亭のグラバーさんの名前も二代目にみえる。
 やがて、この会社から麒麟という銘柄のビールが発売される。麒麟のイメージが定着して、明治40年に近藤廉平さんら日本人に経営権が譲渡された時に、麒麟麦酒(株)と会社の名前も変わる。
 大正12年(1923)の関東大震災でこの山手の工場は壊滅し、再建されないまま、今は北方小学校とキリン公園になっている。
写真は、キリン公園にある麒麟麦酒開源記念碑である。子供を連れた母親が集まる小さな公園である。

 一方、サッポロビールは、ドイツで修行してきた中川清兵衛さんが、北海道開拓使に招かれ、開拓使麦酒醸造所を作ったことから始まる。
 道庁から大倉組が譲り受けたこの麦酒醸造所を、渋沢栄一さんが受け継ぎ、明治20年から札幌麦酒会社という社名に変わる。

この年は、もうひとつの麦酒会社が東京に生まれた。この会社は日本麦酒醸造といい、エビスという銘柄のビールを販売する。ビールを積み出す貨物駅を利用して山手線の駅を作り、恵比寿駅となったのはもっと後の話。この日本麦酒醸造が潰れそうになった時、再建に乗り出したのが三井物産である。以後、三井系と言われる由縁だ。

明治39年(1906)今の名前で言うと、エビスビールと、大阪麦酒のアサヒビール、サッポロビールの三社が合併して、大日本麦酒醸造という大きな会社ができ、一時は七割近いシェアを占める。それ以外の中小の麦酒会社は、明治30年頃に酒税が導入された時にどんどん潰れた。今もビール業界は税金に対してとても敏感だ。

 戦後まもなく、そんな大きな会社がビール業界を牛耳っていては自由な競争ができないと考えたGHQは、この大きな会社を朝日麦酒と日本麦酒に分けてしまう。
 日本麦酒の方は、昭和31年頃からサッポロビールの銘柄を復活させ、いっそ社名も昔に戻してしまえと、サッポロビール(株)にしてしまう。
 分かれた朝日麦酒の方は、元は明治20年の大阪麦酒会社が始まりなので、こっちは当然、住友系と言うことになる。名前もカタカナにして、アサヒビール(株)。

 かくして、初めに紹介したような会話が、どこの店でも聞かれるようになった。別にビールはサッポロに決まっているわけではない。ブランドの問題ではなく、プライドの問題。

3日楽しみたかったら2006年10月06日 23時47分34秒


 3日楽しみたかったら酒を飲みなさい。
 3年楽しみたかったら結婚をしなさい。
 一生楽しみたかったら釣りを覚えなさい。

そんな言葉が中国にあると、亡き開高健さんが書いていました。
含蓄が深いですね。

・・・でもゴルフをやってる人は
「一生楽しみたかったらゴルフを覚えなさい」だよね!

重慶飯店 チャーハン2006年10月07日 00時30分05秒


チャーハンといえば「楊州チャーハン」
(すみません、重慶飯店でも楊州チャーハンと呼ぶのかどうかは確認しておりません)
抗州チャーハンともいうらしいです、地域によっては。

昔毎月アジアを出張していた頃がありました。
北京、韓国、台湾、マレーシア、香港、タイ・・・といった感じで月の半分は出張してました。
その頃韓国料理のお店があると「焼肉2人前」(2人前頼まないとキムチが出てこないんです)。香港の韓国領事館のあるビルの焼肉屋さんは美味しかったなぁ。
・・で中国料理もよく行きました。4品くらい頼むとお腹が一杯で全部は食べられなくて残したんですが(もったいないことに)・・必ず一品入れたのは楊州チャーハンでした。

そのうちに「一人世界」とか「二人世界」というのがメニューに載るようになりました。これわかります?

一人(二人)で食べる中華のコース料理なんですよ。5品くらいが小さな皿で出てくるので美味しく無理しないでコースが「一人で」
食べられるんですよ。

サンモール系 ナイスチョット!2006年10月07日 00時40分02秒


どうもサンモール系は「パワフル」ですね。
是非次回も準優勝くらいでハンディを減らしてください(笑)

ところでAIGジャパンオープンですが・・・なんとあのフェデラーがブログを書いてるの知ってました?(ATPが大会毎に担当を決めて書かせているそうでジャパンオープンはフェデラーになったそうです)

オリジナルは↓
http://www.atptennis.com/1/en/blog/current_federer.asp

でも日本語で中身が知りたければ↓
http://blog.livedoor.jp/jokuu/archives/50732841.html

秋は運動の秋ですよね。3連休テニス頑張ります。。。

いまどき流行らないですが・・・イッキ!2006年10月07日 00時49分50秒


この汗を見て下さい。

献身的な司会業(単に本人が嬉しいだけかも知れない・・なんて失礼なことは言ってはいけない)が板について・・ちょっと羽目を外しすぎ。

イッキ、イッキ!

曼珠沙華2006年10月08日 01時35分14秒


監督から;

「三渓園の中の、蓮池の池之端にあった赤い曼珠沙華と、記念館の中にあった白い曼珠沙華です。チョット珍しいので撮ってきました。」

ということで送られてきましたので「のむけはえぐすり」にアップします。

(ここからは僕が書いてます)

いわゆる彼岸花ですね。サンスクリット語からついた名前が「曼珠沙華」・・・
「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ています。

山口百恵『二十歳の記念碑 曼珠沙華』

また、山口百恵さんの『曼珠沙華』という歌を覚えている方も多いでしょう。今でも何人かのアーティストがカバーしている名曲ですが、阿木曜子さん作詞のこの歌が「まんじゅしゃげ」ではなく「まんじゅしゃか」なのが話題となりました。ちなみにサンスクリット語ではmanjusakaと書くそうです。

毒があることから「毒花」「痺れ花」・・・彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などとも呼ばれているそうです。

その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能でして、毒は水にさらすと抜けるため、昔は飢餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったそうです。田んぼの畦道に彼岸花が多いのは、その毒でモグラや野ネズミを防除するためだけではなく、飢饉に備えて植えたという説もあり、危険を覚悟してまで口にしなければならなかった昔の苦労がしのばれます。

♪涙にならない悲しみのある事を知ったのは、つい、この頃
形にならない幸福(しあわせ)が何故かしら重いのも、そう、この頃
あなたへの手紙  最後の一行、思いつかない
どこでけじめをつけましょ  窓辺の花が咲いた時
はかなく花が散った時  いいえ、あなたに愛された時

マンジューシャカ、恋する女は  マンジューシャカ、罪作り
白い花さえ、真紅(まっか)にそめる♪