15位 がんばりました2006年12月07日 23時03分16秒


今回はがんばりましたね。

15位でした。

前評判では結構穴馬だったんですよ(^_^)

Long time no see2006年12月08日 23時03分13秒


Hi, guys!

Long time no see (^o^), how's you doing?

Big news for me was -- we've moved. It's really a comfortable house.
Would you mind coming to my house to play with me, Cha-cha maru san and Hana-chan?

キングフィールズその22006年12月08日 23時27分51秒


キングフィールズその2

3ツアーズ選手権2006年12月08日 23時28分36秒


なんと今行われている「3ツアーズ選手権」(男子ツアー、女子ツアー、シニアツアーの国内3大ツアーの代表選手が性別、年齢を超えて争う3ツアーズ選手権)の会場がF-cupを2月に行ったキングフィールズでした。

賞金女王のホームコースでしたね。

久しぶりの参加でしたが。。。2006年12月09日 20時49分08秒


久しぶりに参加してまたニアピンとか狙っていたんでしょうが・・・残念ながら33位(^_^)

まあ雨をつれて来なかったので良しとしましょう。

馬券検討中2006年12月11日 23時11分56秒


発送直前「フライペン勝ち馬馬券駆け込み講座」じゃないですが飲みながら一生懸命馬券を検討しておりました。

なかなか真剣でしょ・・でも買ったのは(きっと)「自分から流し」ですよ。

万馬券とったのは。。。2006年12月11日 23時15分04秒


最後まで万馬券だった2006年F-cup

Tパパはしっかり検討したんですが・・・1位も2位も予定外という結果に。

来年はパパの優勝を願っております。

のむけはえぐすり 第39弾 原善三郎の話 その19 旧正金銀行(2) ロシアの大砲2006年12月12日 21時10分59秒


のむけはえぐすり 第39弾
原善三郎の話 その19 旧正金銀行(2) ロシアの大砲

 開港によって無理矢理世間に放り出された箱入り娘が、外国商人に翻弄される話が続く。

最初に娘が紙に書いた「お金」は明治2年の太政官札で、4800万両ほど発行した。次いで、少額の通貨の代わりにと、民部省札750万両も発行した。

 その流通に一役買わされたのが、善三郎も任命された通商司(大蔵省の前身の会計官)で、その指導のもとに作られた全国で八つの為替会社である。為替会社は政府紙幣の流通にはほとんど役に立たなかった。その中では、横浜為替会社は洋銀券を発行し、外国商人の投機の場にされていた洋銀相場を少しはまっとうな市場に引き上げ、いい加減な横文字小切手をなくすことには役だった。

 これらの紙幣は、「正金」すなわち当時最も流通していた金貨の二分金と、額面の40%程度でしか交換できなかった。要するに、信用がなかった。そこで、娘はアメリカの制度を真似て国立銀行を設立し、金に交換可能な国立銀行券を発行させ、巨額の太政官札、民部省札、藩札などの旧紙幣を回収する一方、兌換制度を確立しようと考えた。

 明治5年の国立銀行条例によって、国立とは名ばかりの株式会社ができた。それには、三井さんと小野さんによる国立第一銀行、横浜為替会社が転じた国立第二銀行、新潟の地主市島さんの国立第四銀行、大阪士族による国立第五銀行があった。

 その少し前、娘は明治4年の新貨条例によって、「両」から「円」へ、銀本位から金本位への変換を決め、金銀比率を貿易一円銀の発行によって1対16に定めた。だが、この1対16でもまだロンドン市場における金銀比率の1対18に追いつかない。外国商人はそこにつけ込んでくる。追い打ちをかけるように、世界的にも銀貨の価値は下落する。その上、明治13年までは輸入超過で、支払いが増え、さらに金が減る。それやこれやで娘の手持ちの金は減っていく。国立銀行が国立銀行券を発行しても、直ちに金に交換され、発行額の4割まで用意した金は直ぐ底をつく始末だった。

 こんな状況では国立銀行は潰れてしまうというので、とりあえず政府紙幣の償却を後に回して、銀行紙幣の流通を目指すことした。娘は明治9年に国立銀行条例を改正して、銀行紙幣と金貨との交換を止め、政府紙幣との交換でよいことにした。資本金に対する発行紙幣の上限額を、6割から8割にまで上げた。
 
 その結果、国立銀行はどんどんつくられた。153行目で銀行紙幣の発行予定の資本金総額に達したので、明治12年で認可がうち切られた。娘の目論見通り、銀行紙幣が増発され、明治9年に比較して明治12年末には、それまでの政府の不換紙幣と合わせて、市場流通紙幣は約6割増しになった。
そうなると、紙幣価値が低下し、インフレになった。洋銀相場が高騰し、明治10年と比べて明治14年にはこれまた約6割増しになった。外為市況ニュースなどがない時代に、同じような上げ幅に調整されるという市場の正確さに驚かされる。
 
 ここに来て、洋銀を何とかしなくてはと言うことになった。
次は、いよいよ娘を助ける「正金」さんが登場する。

 写真は、旧正金銀行の桜木町側、県立博物館の正門にある32ポンドの大砲である。幕末に帝政ロシアから輸入されたこの大砲には鎖がつけられ、錨として平和利用されようとした。中華街加賀署の近く、今のロイヤルホールの辺り、山下町90番シーベル・ブレンワルト商会の跡地からでてきたと案内に書かれている。この商会はシーベル・ヘグナー商会の前身で、1893年に創立された有力な外国商社の一つである。
 
明治の頃の帝政ロシアの大砲なら鷲のマークが刻印してあるはずだが、それが見えない。
このところの心労で胃痛になった娘が、漢方胃腸薬を飲みながらつぶやいた。
「そうか、鷲のマークは大正だから、ないのか・・・。」

もう一人の幸福者2006年12月14日 23時48分43秒


何故か馬券をとってしまった幸福者です。

うらやましか(^_^)

重慶飯店の料理シリーズ ナッツと鶏肉2006年12月14日 23時51分04秒


こういう美味しいものを食べながらお酒を飲んで打ち上げというのは最高ですね。