珍しいフライペンでのキャンドル ― 2007年03月17日 00時03分40秒

前回はフライペンのメイド紹介をしたのですが残念ながら写真を没収されてしまいました(^_^)
今回もフライペンでは珍しいキャンドルです。
フライペンの美味しい料理;ぶり ― 2007年03月17日 00時08分56秒

フライペンの美味しいぶりです。
こういう日本の魚の煮込みが結構美味しい(^_^)
馬券の期待が高かったんですが。。。 ― 2007年03月17日 00時12分45秒

横浜のシングルということで前評判は上々だったんですが・・・
今回は「調教不足」・・・でも「馬体重は変わらず(^_^) 」・・・
ということで残念ながら入賞無し。
次回5月はありそう。。。
ありがたや・・・南無阿弥陀仏 ― 2007年03月17日 00時26分06秒

ありがたや、ありがたや
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
それにしても誰だ他に買ったのは?
一人占めのチャンスだったのに(^_^)
F-cup--関内苑--ときたら「レナウン」ですよ ― 2007年03月17日 00時32分03秒

お待たせいたしました。
ここのところ2回重慶飯店でしたので出番がありませんでしたが
関内苑・・・ときたら「レナウン」ですよ。
今回はダンサーの年齢も一挙に下がって。。。(^_^)
♪♪ドライブウェイに春がくりゃ
イエエエエイエイ イエ~イ ♪♪
のむけはえぐすり 第48弾 原善三郎の話 その27 横浜銀行協会 ― 2007年03月17日 23時26分04秒

のむけはえぐすり 第48弾
原善三郎の話 その27 横浜銀行協会
写真は、関内大通と本町通の交差点、旧川崎第百銀行(旧三菱銀行横浜支店)のはす向かい、昭和11年に建てられた横浜銀行協会である。
この建物は戦後しばらく米軍の将校クラブになっていたが、昭和28年から再び横浜銀行協会に戻った。
前身は横浜銀行集会所で、明治28年(1895)の創立時には弁天通にあった。
今は金融庁管轄の社団法人で、定款を見ると、事業内容は「銀行営業及び業務一般に関する社員、関係官庁、その他との連絡」とある。銀行仲間と官庁との親睦と連絡の場所というのが、建前のようだ。
社員と言っても、神奈川県に本店または支店を有する銀行のことで、普通の人にはなれない。
理事さん達の名簿を見ると、元大蔵省事務次官の現会長は横浜銀行からで、理事にはそうそうたる銀行の名前が並ぶ。
明治の末から大正期にかけて、どのような「社員」が出入りしていたのかということに興味が湧く。
明治36年に横浜に本店があった銀行は、横浜正金銀行、神奈川農工銀行の他、普通銀行が12行、貯蓄銀行が11行あった(横浜市史第四巻上、第三章市中金融機関、742-802)。その中で、横浜の貨幣市場に大きな比重を持っていたのは、正金銀行と普通銀行である。
横浜に本店がある普通銀行は中小銀行が多く、資本金100万以上の銀行は第二銀行、横浜七四銀行、茂木銀行の三行に過ぎない。また、同族銀行的色彩が強い銀行が多い。
横浜以外の地に本店があって、横浜に支店を出している普通銀行もある。
そういう銀行の預金の占有率(%)を見ると、第一銀行(22.6)、第三銀行(4.1)、第三五銀行(0.5)、第百銀行(14.8)、三井銀行(13.8)、住友銀行(6.8)で、横浜に本店がある第二銀行(10.4)や横浜七四銀行(6.4)よりも、規模の大きいものが多い。
明治43年に横浜商況新報社が発刊した「横濱成功名譽鑑」という本がある。そこに、当時の銀行が、「対外貿易金融機関」の横浜正金銀行といった具合に、たいそうな見出しと共に紹介されている。
見出しの主なものをたどってみる。
「吾国銀行の権輿」の第一銀行、「横濱最初の銀行」の第二銀行、「銀行界の有鎮」の第百銀行あたりは、妥当な評価だろう。
まとも過ぎるのが、「安田家と縁深き」の第三銀行、「住友家の一勢力」の住友銀行、「我邦最古の銀行」の三井銀行。
そうだったンだと感心するのは、「本店を静岡に置く」は製茶業者の三五銀行、「天下の絲平の偉業」は博打と女の相場師・糸屋平八の田中銀行、「左右田家の基業」は基々(もともと)の生業が金貸しで、そのまま成長して銀行になったという左右田銀行。
少し笑ってしまうのは、「土着の大銀行」の横浜七四銀行。横浜は土着だったンだ。「石の上にも三年貯金」は不動貯金銀行。定期預金のことらしい。「平民の金融機関」は今とは別の横浜銀行。平沼専蔵さんの同族銀行で、平民の平民による平民のための銀行!?
当時、これらの「社員」と政府系銀行や貯蓄銀行の「社員」が、横浜銀行集会所に出入りしていたと考えられる。
その後、いつの間に顔を見せなくなった「社員」もいる。
別の「社員」の影に隠れてしまった「社員」もいる。
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