のむけはえぐすり 第70弾 原善三郎の話 その49 Aberdeen取材旅行 紅茶2007年10月14日 02時33分16秒

イギリスで有名な紅茶の4大銘柄のアール・グレイのティーバック

のむけはえぐすり 第70弾 原善三郎の話  その49 Aberdeen取材旅行 紅茶

東インド会社は茶を輸入する対価として、アヘンを中国へ持ち込んだ。だから東インド会社の末裔を探すには、「紅茶」と「アヘン」がキーワードになる。   今回は、紅茶部門についてたどってみる。

写真は、イギリスで有名な紅茶の4大銘柄のアール・グレイのティーバックである。左からリプトン、トワイニング、ブルックボンド、フォートナム&メイソンである。なぜかリプトンの後ろに隠れているのが、“三井”農林の日東紅茶だ。

トーマス・リプトンさんはグラスゴーで生まれ、1871年に食料品店「リプトン」を開店した。セイロンの茶園を手に入れ、流通や製法に工夫を凝らし、茶の価格を下げ、紅茶の普及に一役買った。   「赤い楯」の著者、広瀬さんは「”リプトン”は、かつてサスーン家のもの」だったと言い切る。紅茶の販売会社を輸入元が、いつ頃か、傘下におさめたと言うことだろうか。   現代のリプトンは、世界最大の食品会社「Unilever(ユニリーヴァー)」の子会社になっている。「ユニリーヴァー」はオランダの「マーガリン・ユニ」とイギリスの「リーヴァー」が1929年に合併した会社で、その仲立ちをしたRobert Cohenさんは、かつてオランダの「ロイヤル・ダッチ」とイギリスの「シェル」を結びつけたロスチャイルド家の人だから、巡りめぐればロスチャイルドさんのものだと言っているようだ。

トワイニングは1706年にロンドンのシティーの西で、コーヒーハウス「トムの店」から始まった。創業者のトワイニングさんは、東インド会社にも勤務したことがある。1717年に「ゴールデン・ライオン」という紅茶専門店を開き、1837年にはヴィクトリア女王の王室御用達になった。英国首相にもなったグレイ伯爵(Earl Grey)が好んだことに因んだアール・グレイという銘柄や、Edward Ⅷに因んだPrince of Walesという銘柄を出している。いつの頃からか、トワイニングさんの一族はゴールドスミス商会の重役になった。勿論、フランクフルトのゴールドシュミット・ロスチャイルド家の会社だ。一族には、アフリカなどの植民地の総督になったものが多いという。

ブルックボンドは、1869年にアーサー・ブルックさんがマンチェスターの「ブルックボンド」商会という紅茶の店から始めた。ボンドは単なる語呂合わせの付け足しらしい。広瀬さんは、「”ブルックボンド”はスワイヤ家のもの」と言い切る。香港の支配者といわれるスワイヤ家はキャセイ・パシフィック航空の大株主で、香港上海銀行の重役でもある。このブルックボンドも1984年にユニリーヴァーに吸収された。

フォートナム&メイソンの名前を、今回、私は初めて聞いた。ネットで検索すると、横浜のランドマークタワーに販売店を兼ねた喫茶店があった。この会社は、アン女王のロウソク係をしていたウィリアム・フォートナムさんが、家主のヒュー・メイソンさんと一緒にロンドンのピカデリー・サーカスの近くで、1707年に開業したのが始まりだ。ヴィクトリア女王の御用達にもなった。最近まで、紅茶価格の下落で店を閉じていたという。今は製造をトワイニングの工場に委託しているという話も聞いた。   三井の日東紅茶がそこにいるのが偶然ではないことは、後日話す機会があるだろう。

広瀬隆さんによれば、1798年のベンガル総督Richard Willesleyさんから、インド女帝・ヴィクトリア女王を経て、1948年の最後のインド副王Louis Mountbatten卿に至るまでの32人のインド総督は、ロンドンのロスチャイルドさんを頂点とした、5世代ぐらいの大きな家系図に収まってしまうとされる。   その家系図から、東インド会社の紅茶に関係のありそうな人を探してみると、話はさらに香港へと飛ぶ。

先ほどのグレイ伯爵のお孫さんのMary Greyさんが結婚した相手は、インド総督のGilbert Elliotさんだ。同じ名前のひいおじいさんもインド総督だったが、Maryさんのおじいさんはアヘン戦争が起きたときのイギリス海軍提督だった。その海軍提督の甥は香港の初代総督のCharles Elliotさんだ。だから、トワイニングのアール・グレイは単に紅茶が好きなオジさんの名前にあやかっただけではなさそうだ。

さらに驚いたのは、セポイの反乱を引き起こす引き金になったダルフージ侯爵の本当の名前はJames Broun Ramsayといい、その一族のSarah Ramseyさんのご主人がJohn Keswickさんだった。お父さんは、William Keswickさんで、ジャーディン・マセソン商会の会長だ。ジャーディン・マセソン商会は、リプトンのサスーンさんが大株主だった香港上海銀行のライバルで、中国における紅茶の輸入も多かった。最終的には香港上海銀行と和解し、自身が香港上海銀行の会長になった。

紅茶部門から浮かび上がってきた東インド会社の末裔には、いくつかの共通点があった。ひとつは、ロスチャイルドさんの閨閥に絡んでいること、次はインド総督や香港総督などのイギリス政府の権力の近い立場にいること、もう一つはオランダの東インド会社が残した権益と資産も守ろうとしていることだ。   そのうちの二つ以上を持っていることが、条件のようだ。

東インド会社の末裔が守ろうとした権益と資金の持ち主とは、オランダやイギリスで、かつて「勅許状」を与え、今も「御用達」の免許を与えている人達のことではないのかと、フッと頭をよぎった。

参考文献

1)広瀬隆:赤い楯 ロスチャイルドの謎、上・下、集英社、1991