のむけはえぐすり 第72弾 原善三郎の話 その51 隠れ間の”オヤジ”2007年10月30日 20時01分39秒

AberdeenのGraver Houseに飾られていた肖像

のむけはえぐすり 第72弾 原善三郎の話 その51 隠れ間の”オヤジ”  

隠れ間のあった場所は、長崎の外国人居留区のオヤジの家の屋根裏。

隠れていたのは、長州藩の伊藤俊輔(博文)さんと井上多聞(馨)さん。そこには、時折、坂本龍馬さんも隠れたことがある。

時は、慶応元年(1865)。長州では高杉晋作さんの討幕派が藩の実権を握り、大村益次郎さんらが盛んに軍備を整えようとしていた。

オヤジは長州藩から武器の調達を頼まれた。文久3年(1863)の第一次長州征討の時には、長州藩は征討参謀の西郷吉之助さんたちにあっさり降参している。おいそれと乗れる話ではない。現に、横浜のジャーディン・マセソン商会は動けないのか、動かない。

そんな中、オヤジはミニュー銃4100挺、ゲーベル銃3000挺、軍艦一隻を調達することに承諾した。送るにあたっては、坂本龍馬さんの亀山社中をダミー会社にして、胡蝶丸に薩摩藩の「丸に十の字」の旗を立て、長州に運ぶことにした。

その軍需物質を受け取りに来た長州藩の二人を、オヤジは長崎の自分の家の屋根裏部屋に匿った。攘夷の風が吹き荒れる中、いつの頃からか、オヤジは長州藩や薩摩藩の若い連中に倒幕思想をたきつける張本人になっていた。

オヤジの名前は、Thomas Blake Graver(グラバー)。写真は、AberdeenのGraver Houseに飾られていたオヤジの肖像だ。

オヤジは18才の時にAberdeenから広東に来て、ジャーディン・マセソン商会に3年間勤めた。その後、ジャーディン・マセソン商会から中古の汽船のオホスタライエン号を借り、融資を受けて長崎にやってきた。Keswickさんが、横浜支店で活躍している頃だ。Keswickさんはオヤジが上海に来た時の支店長で、商売のコツを教えてくれた元上司だ。

1860年に長崎の外人居留区が設置されると、オヤジは21番地に住むようになった。翌年には、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店代表のマッケンジーさんが転勤したのに伴い、新たなコミッション・エージェンシーとなって独立した。

初めはジャーディン・マセソン商会からの注文を請け、茶の輸出を手がけた。そのうち、金銀の交換貿易、軍艦や武器の売買へと商売を広げていった。オヤジの成功した影には、オヤジの兄弟が入れ替わり立ち替わり来日しては、良きパートナーとなって手助けしてくれたことが大きかった。

オヤジもそうだが、兄弟達は蒸気船を運転することができたので、自由な輸送や移動が可能だった。長兄のJamesさんに至っては、英国海軍に在籍した後、アームストロング社にもいたことがあるので、武器の売り渡しはノウハウ付きで、お手の物だった。  

まず、日本を変えるには、見込みのありそうな若者に、外国の事情を見せることが手っ取り早い。1863年には、伊藤さんら長州藩の5人を、Keswickさんと協力して、イギリスへ密航する手助けをした。1965年には、薩摩藩の家老小松帯刀さんに頼まれ、今度は自らのオホスタライエン号で、五代友厚さんら薩摩藩の密航留学生19人をイギリスへ運んだ。  

長州藩の伊藤さんと井上さんは、英仏蘭米四カ国と長州が戦うことになる下関戦争の無謀さを説くため、翌年には急ぎ帰国した。残った長州藩と薩摩藩の留学生たちは、禁門の変以来、互いに戦ったわだかまりを越え、開国の志を共有するようになった。

幕府側にはフランスが付いていた。横浜のジャーディン・マセソン商会は、幕府の目があって武器を売ることは出来ない。代わりに、一心同体のオヤジが幕府の目の届かない長崎で、西国雄藩への武器調達を担当し、倒幕の準備をするという図式が浮かんでくる。

後は、イギリス本国の意志として、武器調達の継続と、倒幕後に新しい政府を承認する確約を伝える必要があった。  

そこで、オヤジは英国大使のハリー・バークスさんと会って、その後長州を訪ねた。さらにバークスさんと一緒に鹿児島に行き、島津のお殿様にも面会している。その場でイギリス政府の意向が伝えられ、倒幕のためのゴーサインが出たことは想像に難くない。

そして、慶応2年(1866)、オヤジの意を受けた坂本龍馬さんの口利きで、薩摩の西郷さんと長州藩の桂小五郎さんが京都の薩摩藩邸で会い、薩長同盟が結ばれた。

坂本さんのそのような力は、懐手で海の夕日に向かって、「日本のために~~~ィ!!」と叫ぶ情熱だけで、説明できるものではないだろう。その後ろに武器調達を担当するオヤジが控え、幕府の抗議をはねつけるイギリス政府がいることが分かるから、薩摩藩からは西郷さんや小松さん、長州藩からは桂さんが乗ってきたと考えたほうが分かり易い。

その時、半身の姿で成り行きをうかがっていたのは、ジャーディン・マセソン商会だったと、私は見ている。

参考文献

1)山崎識子:隠れ間のあるじ、栄光出版社、1994

2)加治将一:あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメイソン、祥伝社、2006