のむけはえぐすり 第100弾 原善三郎の話 その78 ジャーディン・マセソン商会 日独伊三国同盟2008年08月22日 04時54分31秒

のむけはえぐすり;独伊三国同盟条約の調印書

のむけはえぐすり  第100弾

原善三郎の話  その78 ジャーディン・マセソン商会 日独伊三国同盟

 

これまでアヘンに関するイギリスの非道ばかりを書いてきたが、実は、1920年代から中国にアヘンを持ち込んだのは日本だった。この事実は、日本の近代史の暗部として、あまり語られてはいない。

 

映画「ラストエンペラー」のなかで、アカデミー作曲賞をとった坂本龍一さんが、「満州は、昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」といわれた甘粕正彦憲兵大尉の役を好演していた。新京(今の長春)にあった満州皇帝の住居、今は偽皇宮というようだが、その一室で清国のラストエンペラーとなった宣統帝・愛新覚羅溥儀の皇后が麻薬に耽溺しているのを見ながら、冷たく、ほくそ笑む姿があった。1930年頃の話だ。

 

その20年ほど前、1911年からハーグでアヘン禁止について話し合われ、世界がアヘンの禁止に向けて動き出していた。元祖イギリスは独自に中国と英清阿片条約を批准し、1917年には中国のアヘンから足を洗った。

 

一方、日本では、1875年(明治8年)にアヘンを政府の専売制にした時に、一旦、ケシの栽培農家の数が激減した。アヘンの主要成分であるモルヒネの含量が厳しく制限され、栽培しても売れないことが多かったからだ。    

そのまま、すたれてくれればちょうど良かったのだが、品種改良を重ね、モルヒネの含量の多い新種のケシを開発した人がいた。二反長(にたんちょう)音蔵さんといい、地元の大阪の北摂地方で栽培を成功させ、和歌山の有田川流域のミカン畑の間にも栽培を広げた。そのことを調べた倉橋教授は二反長さんを「日本のアヘン王」と呼んだが、別に闇の帝王という訳でもなく、彼自身がアヘンによって巨利を得た訳でもない。彼なりには「外国から輸入するよりは、地場産業の育成」程度の思いがあったようだ。

 

その頃、アヘンの主成分であるモルヒネが、工業的に生産されるようになった。モルヒネはアヘンのようにいちいち燃やしたり鼻から吸ったりという面倒なことはなく、丸薬や注射薬の形で手軽に使えた。その代わり、麻薬としての毒性と習慣性はアヘンの十倍も強く、確実に死を早めるものだった。

 

最近の戦争映画は、「プライベートライアン」以来、戦闘描写がリアルになった。映画の中で、負傷した兵士に衛生兵が駆け寄り、モルヒネを注射して去っていく場面がある。ろくな手当もできない戦場で、せめて痛みだけは取ろうということだが、1914年に始まった第1次世界大戦では、各国が鎮痛剤としてのモルヒネを大量に増産した。戦争が終わると、そのモルヒネが市場にあふれた。

 

日本は1910年代にはモルヒネをイギリスやドイツから輸入していたが、台湾総督府が星製薬株式会社に委託し、モルヒネの国内生産にこぎつけた。その後、国内では4つの製薬会社に、モルヒネの製造販売の許可が与えられた。

 

1920年代に、それらのモルヒネを中国に持ち込んだのが、日露戦争後にわが物顔になった日本人である。日本人は手荷物検査が免除されていたので、日本人のアヘンの行商人が中国に溢れた。1930年代には、日本のモルヒネ生産量は世界のトップクラスになった。

 

台湾や朝鮮でもアヘンやモルヒネが作られ、それぞれの総督府は専売制にした。植民地で売りまくった莫大な利益と税収は植民地政府の歳入の大部分を占め、植民地の経営にとって不可欠なものになっていった。

 

8月16日の今日、朝日新聞でもNHKの調査番組でも、日本軍とアヘンの関係が取り上げられた。それによれば、関東軍の師団長だった板垣征四郎や参謀長だった東条英機たちが、アヘンを内蒙古から満州に持ち込んだ。軍の関与を隠すために、上海の「宏済善堂」という団体が使われ、そこの代表が真の意味で「アヘン王」と異名をとった里美甫(はじめ)だ。アヘンの収益は新たな占領地の傀儡政府の運営費や兵器購入に使われ、あぶく銭を手にした軍人たちの独走が始まった。間もなく「宏済善堂」の機能は、首相となった東条や陸軍大臣となった板垣たちが主催する「興亜院」に引き継がれ、「戦争はアヘンなしではできなかった」とまで言わしめている。

 

参謀たちは大言壮語しながら手柄を競い、勝手に戦線を広げていった。国際的な非難を浴びて孤立した日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結び、やがて世界を相手に戦うことになる。参謀たちは作戦とは言えない作戦を立て、日本兵を餓死に追いやった。    

日本のアヘンの害は、こんな所に出たという話だ。  

こんな話には、この写真しかなかった。写真は日独伊三国同盟条約の調印書である。

参考文献 1)倉橋正直:日本のアヘン戦略 隠された国家犯罪、前出 2)倉橋正直:日本の阿片王 二反長音蔵とその時代、共栄書房、2002