のむけはえぐすり 第113弾 閑話休題 本貫2008年12月12日 22時35分24秒

のむけはえぐすり;忠州の高句麗碑

のむけはえぐすり  第113弾

閑話休題  本貫

 

韓国人は自分の一族の始祖やその子孫の出身地である本貫を、姓につなげて名乗ることがある。

 

そのことで、自らの先祖がどんなに古い時代から始まり、どれほど位が高かったかを、さりげなく誇示するわけだ。

 

時代としては、紀元前後の三国時代あたりがちょうど良い。伝説と史実の区別がつきにくく、まことしやかだ。だからといって、高句麗では、始祖の朱蒙(チュモン)が中国東北部の東扶余の出自だし、百済の始祖も朱蒙の息子の温祚(オンジュ)だから、大陸系を自慢するわけにもいかない。事実、高句麗系では晋州姜氏があるくらいで、百済系も少ない。

 

その場合、朝鮮半島南部の馬韓、弁韓、辰韓あたりの王族ならば最高だ。それも、始祖が神様の子と言うことになれば、さらに箔がつく。神様の子とするには、韓国では金の卵から産まれたことにするのが常識だ。    

新羅の金の卵は朴赫居世(パクヒョッコセ)、昔脱解(ソクダルヘ)、金閼智(キムアルチ)と続き、新羅の王族系の本貫の始祖となった。新羅は建国後、南部の金の卵の首露王の金官伽倻国を初めとする六伽倻諸国の王族を従えた。伽倻王族系である。  

新羅の建国神話に現れる辰韓の六つの村は新羅六部と呼ばれ、それぞれ新羅の高官の姓が与えられた。新羅の豪族系である。  

百済、高句麗を滅ぼし、唐を追い出し、676年に全国統一を果たした統一新羅は、全国を九つの州に分け、都督を派遣した。かつての敵地には小京と呼ばれる五つの副都を設け、貴族や住民を移住させた。新羅の貴族系である。  

新羅以外では、時代は降って高麗の功臣系と、中国からの渡来系が若干ある。

 

私は韓国の田舎を好んで旅したが、その中にいくつか、本貫の地があった。

 

本貫として挙げられることが最も多い慶州は、新羅1000年の都である。市内には「大陵苑(テヌンウォン)」と呼ばれる古墳公園があり、盆地を囲む山麓には、三国統一を果たした武烈王陵、初代から第5代王までの五陵、百済を滅ぼした金庾信(キムユシン)将軍の陵墓など、新羅王族の古墳が多い。南山にある遺跡や仏国寺、石窟庵などの仏教遺跡もある。3回も訪れた。

 

2番目に多い晋州は、釜山と光州の中間に位置し、伽倻地方の金の卵、咸安、昌寧、金海、高霊、星州とあわせた六伽倻の古都で、統一新羅時代は九つの州のひとつである。1925年に釜山に道庁が移るまで、慶州南道の道庁があった。なだらかな山に囲まれた静かな町で、高麗の高宗時代に建てられた晋陽城の楼閣、矗石楼(チョクソンヌ)があり、秀吉が攻めてきた壬辰の乱(日本の文禄・慶長の役のこと)では、落城悲話が語り継がれている。

 

3番目に多い全州は、百済の都が置かれたこともあり、統一新羅の九つの州のひとつで、今の全羅北道地域の中心地である。李王朝を開いた全州李氏の本貫だが、その始祖は新羅の高官・李翰だという。全州の市内には、朝鮮瓦葺きの家が建ち並ぶ韓式家屋の保存地区・韓屋村(ハノックマウル)があり、高麗末期に建てられた全州城の豊南門や、李王朝の始祖・李成桂を始め代々の皇帝の肖像画が納められている慶基殿がある。慶基殿の境内では、おじさんたちが焼酎を飲みながら、哀愁のある調子でパンソリの掛け合いをしていた。歩きを止めて、酔っぱらいの歌に聴き入った。

 

4番目は密陽。密陽朴氏は新羅の景明王の長男・朴彦沈がルーツだが、当然、新羅初代王・朴赫居世を始祖としている。釜山北部の盆地で、密陽河が大きく迂回する中州に町があり、川岸の崖の上には朝鮮の三大楼閣のひとつ、嶺南楼(ヨンナムル)がある。秀吉の軍に最後まで抵抗したという山奥の表忠寺に行くのに、金海に洪水があった年で、川が溢れて見えなくなった隠れ橋の上を、タクシーが勘で渡るので、とても怖い思いをした。

 

5番目は清州で、統一新羅の五小京のひとつ、西原小京があった。私が初めて案内なしで、二泊三日を過ごした内陸の町だ。近くには俗離山(ソニサン)国立公園がある。公園内には三国時代の新羅によって553年に建てられた法住寺があり、境内に巨大な弥勒菩薩の立像がある。車で20分ほどの所に、新羅の金庾信将軍の父親が7年かけて造った上党山城がある。山の尾根伝いに城壁が囲む典型的な朝鮮式山城で、一周する元気はなく、正門まで行って戻ってきた。

 

6番目は海州。高麗時代に発展した黄海に面した町だが、現代は全州金氏の金王朝が支配する“北”の地域にある。“あの人”がいる限り、行くことはないと思う。

 

7番目は忠州で、統一新羅の五小京のひとつ、国原小京があった。安東から月岳山国立公園、さらに水安堡温泉を越えて、バスで向かった。写真のように、高句麗が5世紀に南漢江沿いを占領した時に建てられた高句麗碑がある。近くには、統一新羅時代に建てられた七層からなる中央塔がある。朝鮮半島のほぼ中央に位置しているという。

 

8番目の羅州と9番目の光州は、統一新羅の九つの州のひとつ、武州だった。全羅南道地域の中心である。統一新羅の真聖女王時代に僧侶が一昼夜で千仏千塔を建てたという伝説がある運舟寺(ウンジュサ)など、この時代に建立された寺院が多い。以前「のむけはえぐすり」の「光州の旅」シリーズで詳しく述べた。

 

10番目は南原(ナモン)だが、この町には行っていない。官吏の息子・李夢龍と妓生(キーセン)の娘・成春香の恋の物語、有名な「春香伝」の故郷だが、ここも統一新羅の五小京のひとつ、南原小京があったところだ。

 

結局、本貫として挙げられることが多い町は、韓国の田舎にあり、統一新羅の歴史を色濃く残す町だった。私はその歴史に吸い寄せられるように、韓国の田舎を旅していたことになる。