ケルンの水(Eau de Cologne) ;アルトビールの有名店・・・その2 ― 2009年05月04日 23時26分13秒
ケルンの水(Eau de Cologne) ;ヨーロッパはやはりマニュアル車です・・・この街に似合うのはポルシェ ― 2009年05月06日 22時16分49秒
こういう小型のスポーツカーでワインディングロードを走るのがやはりヨーロッパの神髄ですね
・・・とは言ってもレンタカーでは”左ハンドルのマニュアル”はちょっと借りにくいね
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ところで世間では大型連休ですが残念ながら僕は(たったの)4連休
久しぶりに4連ちゃんでテニスをしましたが結構疲れました。今日は4人でしっかり4時間でした
テニス4時間・・・とんQの豚カツ・・・手賀沼の温泉
・・・というグータラ生活をしたら体重が2kg増えちゃった・・・とは言ってもベストの65kg
9日は人間ドックです
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ケルンの水(Eau de Cologne) ;ヨーロッパはやはりマニュアル車です・・・アウディR8 ― 2009年05月06日 22時19分09秒
スイスのビアン市を散歩中に見かけたアウディのR8
颯爽と横道から出て走り去って行きました
実はドイツのベンツのタクシーは例外的にオートマだったのですが・・・ドイツもスイスも小型車が多い、しかも大体がマニュアル車です
スイスの会社の車ワゴンカーもしっかりマニュアルでした
以前台湾に出張したときの相手の会社の社長さん・・・台湾の東大である台湾大学を出てサンフランシスコの大学でMBAをとったというおじさんですが・・・普段は日産のインフィニティを運転しているのですがセカンドカーがなんとスバルのB4・・・これだけ聞いても「オタク」・・・しかもサードカーはアウディのR8でした
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ケルンの水(Eau de Cologne) ;ライン川に浮かぶ観光船を貸し切り ― 2009年05月08日 00時18分26秒
ケルンメッセでの2年に一度の世界最大のデンタルショーIDS 2009
イベント規模が大きい(10万人以上が集まる)ので宿泊もケルン市内では無理で、近郊のデユッセルとかボンとかに大体がホテルを取らざるを得ない(僕らはデユッセルにした)のであるが・・・これだと電車で小一時間かかる
スイスの会社はライン川に浮かぶ観光船を期間中貸し切りにしてホテルにしていたらしい。他にも日本のメーカーもやはりそうしていたとのこと。だから期間中はライン川のケルンメッセのそばの川岸に「にわかホテル」が何隻も浮かんでいたようです。
数十人規模のメーカーの場合これは非常にコスト効率がいい・・・スイスのメーカーと話してわかった事実。
この写真の左下に写っているような船か?それとも違うタイプかな?
いずれにしても一度話の種に泊まってみたいものではある
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ケルンの水(Eau de Cologne) ;ビジネスキャリーバッグもあるでよ(^_^) ― 2009年05月09日 22時19分52秒
ビールを飲んで美味しいものを食べに行ったように見える今回の出張ですが仕事もしなければいけなかったのがサラリーマンの辛さ (^_^)
出展者でもありますが他社情報も調べなくてはいけない・・・ということになると・・・
そうです、カタログです・・・と言うことで二人で集めまくりました
確かに情報としては便利なんですが何せ重い!
最終的には集めた量の半分くらいを持って帰ることにしたんですが・・・何せそれでも半端な量じゃない
自分たちの持ってきたバッグでは到底入りきれないのは分かり切っていて・・・自分のブースで立ちんぼしながら観察してると格好いいキャリーバッグを持った人間が沢山来るではないですか・・・そのバッグには会社名とブース番号が・・・
早速そのブースに行ってみるんですが何も無い・・・しかし会場には社名入りバッグを引っ張って歩く多数の見学者・・・
「聞くは一時の恥」じゃないですがブースで説明を聞いてくれた人間を追いかけて聞いてみました・・・
僕;「そのキャリーバックはどこで手にはいるの?」
客;「BEGOのブースに行けばくれるよ」
僕;「さっき行ったけど無かったよ」
客;「9時から10時まで配ってるよ」
・・・ということで翌朝8:45にはBEGOのブースの前でウロチョロ
毎日限定20個位のを2個ゲット!
・・・ということで無事にカタログを自分のバッグにいれて預けて、あぶれた荷物をもらったキャリーバッグに入れて機内持ち込みでいざチューリッヒ(英語の発音では「ズーリッヒ」でした)でチェックイン・・・と思いきや獅童(しどう)くんのバッグは10kgオーバー!
最終的にはカタログと水物(シャンプーとか)を持ち込み手荷物に移してなんとか20kgに納めてチェックイン・・・
とこれで一件落着の筈だったんですが・・・機内持ち込みのX線チェックで水物がひっかっかってしまいまして・・・結局シャンプーその他カタログ以外で預け入れ荷物から移したものは全て廃棄処分に・・・う~ん、泣くに泣けない (^_^)
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第124弾 のむけはえぐすり 古代の帰化人 番外編 安積の延喜式内社 ― 2009年05月10日 19時26分42秒
第124弾 のむけはえぐすり
古代の帰化人 番外編 安積の延喜式内社
この連休に父の墓参を思い立ち、故郷の福島県郡山市を訪ねた。その折、面白い神社に出会った。
父の墓参をすませ、夕食までの時間をドライブで過ごすことにした。近くに古墳が見つかり、4月から公開されたというので、大安場史跡公園に向かった。
場所は田村町大善寺。父の実家にかなり近い。宅地が並ぶ造成地を通り抜けると、人工的に復元され、芝もまだ根付かない前方後方墳が見えてきた。全長83m。古墳としては小型に属するが、東北地方では有数の大きさだ。前方後方墳は有名な前方後円墳より年代的に古く、4世紀に北関東の太田市周辺で、「毛野王国」の大王の墳墓として盛んに造られた。5世紀に大和朝廷の支配が広がると、朝廷を真似て巨大な前方後円墳が造られるようになり、前方後方墳はすたれた。頂上に並ぶ土師器の壺型土器のレプリカも、古墳時代前期の古墳であることを示している。ということは、4世紀頃にはすでに、このような大きな古墳を造る有力な王が、阿武隈山地の山麓にいたということになる。
田村町には800年頃の蝦夷征伐の際に坂上田村麻呂によって築かれた守山城があり、子孫の田村庄司氏の本拠があった。坂上田村麻呂は百済から渡来した漢(あや)氏の一族で、桓武天皇の信任も厚い武将であった。征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、800年の前後、40年間続いた蝦夷との戦争に勝利し、蝦夷地をほぼ征服した。
古墳を後に、連休の交通渋滞を避け、郡山の郊外を北西に向かって車を走らせた。田舎道を車で15分、直線距離にして10Kmほど離れた三穂田町八幡の辺りで、神社の鳥居が目に入った。延喜式内社、名神大社と書かれている。このところすっかり「のむけはえぐすり」の一番の愛読者になった母と、車を停めて行ってみた。
写真の右に石碑がある。そこに、延喜式内、名神大社 宇奈己呂和気(うなころわけ)神社と書かれている。コンクリートで造られた鳥居を入ると、両側に真新しい狛犬が置かれている。奧にトタン屋根の社殿と社務所がある。こざっぱりとして、何もない。境内は掃除が行き届き、今も祭りなどでは使われているような感じだ。他には、常夜灯が数基あり、「早ぐこっちゃ、来(こ)」と振り向く女性がいる。
延喜式内というのは、平安時代初期の延喜式の神名帳に記載されていた神社で、全国3万余社のうち、官幣社が737社、国幣社が3395社あった。延喜式内社というだけでも自慢できる話なのだが、中でも名神大社(みょうじんたいしゃ)となると、別格だ。全国に203社しかなく、そのうち陸奥国には15社あった。宇奈己呂和気神社はその一つで、奥州二の宮、安積三十三郷の総社と位置づけられていた。
そんな由緒ある神社がこんな近くにあったことも知らなかったし、すっかり寂れていることにも驚いた。
社伝によれば、宇奈己呂和気神社の祭神は、瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと)であって、ついでのように、海童神(わだつみのかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が併記されている。
瀬織津比売命は、6世紀中頃の欽明天皇の頃に、この近くの山の頂上に祭られていた。瀬織津比売命を祭る神社は全国的にも少なく、摂津や滋賀にあるというのだが、どちらも帰化人の多い土地柄だ。福島県の中通りで、海童神という海の神様を祭っているのも不思議な話だ。ここで瀬織津比売命を氏神としていた氏族には海の匂いがする、といったら考えすぎだろうか。
ところが、古事記では瀬織津比売命は伊邪那岐神(いざなぎ)が黄泉の国から帰った時に、禊(みそ)ぎをして生まれた祓戸大神(はらえどのおおかみ)のうちの一柱だとされている。祓戸大神とは、お祓いを司る神という意味だ。同じように伊邪那岐神から生まれた神様には天照大神や素戔嗚尊もいるが、そちらは祓戸大神とは言わない。多分、祓戸大神というのは、大昔、各地の有力な氏族が大和朝廷の支配に組み入れられた時に、その氏族が信仰していた神々を古事記や日本書紀に書き入れ、伊邪那岐神から化生したことにしたのかも知れない。
782年に、蝦夷平定を祈願して、瀬織津比売命を祭神とする宇奈己呂和気神社が大伴家持によってこの地に創建された。その時に八幡様も一緒に祭られ、誉田別命も祭神に名を連ねた。だが、現代に至るまで誉田別命を差し置いて、瀬織津比売命が主祭神として祭られている神社というのは、全国的にも珍しいというのだ。
というのは、神社の格付けが行われたのは平安時代だけではないからだ。天皇による中央集権国家を目指した明治政府は、国家神道の統一も目論み、明治4年に太政官布告を発し、全国の神社に新たな格付けを行った。その際、かなり強引に地方の神社の祭神変更が行われ、もともと祭られていた地方の氏神は、古事記や日本書紀の神様たちの後ろに回され、付け足しのように残されたり、ほとんどは消されたりした。
戊辰戦争から間もない頃の話だ。
宇奈己呂和気神社の社殿の屋根にある×印は、二本松藩主丹羽氏の定紋、直達紋である。会津戦争では、会津の白虎隊のように二本松藩の少年隊も多くの犠牲者を出した。戦後、二本松藩は10万石から5万石へ厳封された。
賊軍となったこの地の明神大社が、優遇されるわけがない。まして、天照大神や誉田別命を主祭神とせず、自らの瀬織津比売命への信仰を頑固に貫き通す神社である。実質格下げとなって、さびれたのかも知れない。
信仰を貫いた村人の誇りは、今に残る社殿とは不釣り合いな石碑に残されていた。
参考文献
1)森浩一:古代日本と古墳文化、講談社学術文庫、2001
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ケルンの水(Eau de Cologne) ;デユッセル空港での両替(失敗) ― 2009年05月11日 02時20分40秒
今回のデユッセル空港での両替所
実は成田でもユーロの両替をしていてそのときはユーロ;130円だった
通常は現地の両替の方が交換率がいいのでそのつもりでいたら何とドイツではユーロ;145円くらいだった
大失敗!
(おかしいなぁ、経験則からいうと成田が一番不利なのに)
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昨日は(10日)暑かったですね
テニスを始めてすぐ疲れを感じてました
ところで9日は一年ぶりに人間ドックに行って来ました
場所はいつもの「つくば記念病院(」何を記念した病院なのかはいまだに分からず)
一番儲かるドックビジネスということでここも専用棟がありまして快適に検診できました
今年は検診の各科目の場所にバーコードリーダーと小さなモニターがついてまして受診票みたいなのを読みとると前回の数値が出てくるので比較が簡単になってました(4月から導入されたとのことで看護婦さんというか担当の方の操作もちょっとぎこちなかったんですが・・・やはり機械は進歩してますね
・・・で恒例の「メタボ検診」というか腹周り測定・・・何と84.5cm
おいおい!それは無いだろうよ
僕がこれじゃフライペンに来ているおじさんはみんなメタボになっちゃうよ(^_^)
ちょっと測定方法と数値そのものに疑問を感じたキクちゃんでした
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