第165弾 のむけはえぐすり 近江の帰化人 伊香具神社2010年10月17日 04時36分06秒






第165弾  のむけはえぐすり

近江の帰化人  伊香具神社

 

織田信長が本能寺の変で亡き後、織田家の跡目相続に絡み、織田家重臣、羽柴秀吉と柴田勝家の間に争いが起きた。天正11年(1583)、世にいう賤ヶ岳の戦いである。

 

賤ヶ岳は余呉湖と琵琶湖の中間にあり、その東麓で地図の赤四角印に、伊香具(いかご)神社がある。

 

写真のように、伊香具神社の鳥居は複雑な形をしている。

普通二本の立て柱と横木から成り立っているが、この鳥居は立て柱の前後を支える形で稚児柱が設けられ、厳島神社にある両部式鳥居に似ている。その上、真ん中の鳥居の両脇に、小振りな「わき鳥居」がついていて、入り口が三カ所あるように見え、奈良の大神(おおみわ)神社にある三輪式鳥居にも似ている。両方の形式が合体したような伊香式鳥居は、かなり安定はよさそうだ。

 

その昔、この神社のすぐ前に伊香小江(いかごのおえ)という入り江があり、後には伊香山という神奈備(かんなび)があった。湖の神様と山の神様を併せて祀るために、このような形の鳥居が作られたという。神奈備とは神霊が鎮座すると信じられていた山のことだ。

 

「當社由緒概略」によると、祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)の五世の孫伊香津男臣命(いかつおみのみこと)とあり、創立は天武天皇の白鳳10年以前のことだという。伊香津臣命がこの地を開墾した時は、「天児屋根命の命を伝えて、皇孫に侍従し久しく宝器を守る」と勇ましい。新撰姓氏録にある左京神別伊香連は連姓を名乗っており、大王に一定の職掌を持って奉仕する氏族であったことを示している。「皇孫に侍従し」とあるのは、中央で中臣連の配下として大王に仕えていたことをさしているようだ。先祖が天児屋根命といえば中臣氏と同族ということになるが、怪しいという説もある。古代では同族関係の変更はしばしばみられ、古くは物部氏との系譜上のつながりも指摘されている。

 

伊香津臣命の出自に関しては、この地の羽衣伝説につながる伝承がある。その羽衣伝説は近江風土記や帝王編年記に書かれているのだが、日本各地にある羽衣伝説の中では最も古いものだといわれている。

 

昔、この辺りは四方を山に囲まれ、伊香小江(ここでは余呉湖のことだという)という小さな湖があった。ある日、湖の南の水辺に、八人の天女が白鳥となって降りてきた。西の山で猟をしていた伊香刀美(いかとみ)がそれを見て、羽衣の一枚を隠してしまった。羽衣をなくした一番年下の天女は戻れなくなり、伊香刀美の妻となってこの地に住んだ。二人は男女二人ずつ子供をもうけ、兄の名は恵美志留(えみしる)、弟は那志等美(なしとみ)、姉は伊是理比啼(いぜりひめ)、妹は奈是理比啼(なぜりひめ)といい、彼らは「伊香連」の祖先となった。後に、羽衣を見つけた母は天に戻った。

 

天人の伝説は世界各地に存在するのだが、父系の出自を重要視する満州や朝鮮半島においては、天人といえば多くは男であり、天女の伝説は少ないという。そんな中で、朝鮮半島の江原道の金剛山には、有名な羽衣伝説がある。

 

ある日、金剛山に住む木こりが鹿を助けた。鹿はお礼に、金剛山の頂上にある湖に天女たちが舞い降りて水浴びをするから、羽衣を隠し、戻れなくなった天女を妻にしなさいと教えてくれた。そして、子供が三人生まれるまでは決して羽衣を見せないようにとも言い残した。

木こりは湖へ行くと、鹿のいう通り八人の天女が降りてきた。一枚の羽衣を隠すと、一人の天女が天に帰れなくなった。木こりはその天女と夫婦になり、二人の男の子をもうけた。木こりは鹿の教えてくれたことを忘れて、隠していた羽衣を天女にみせた。すると、天女は二人の子供を連れて天に戻ってしまった。鹿が三人の子供を産むまでといったのは、子供が二人なら両手に抱えて天に昇ることはできるが、三人なら無理だったからだ。

 

日本と朝鮮半島の羽衣伝説を比較すると、いくつかの類似点があるのに気がつく。男は木こりであったり、猟師であったり、山で生活する者であったこと。舞い降りてきた場所は湖で、天女は八人であったこと。天女が生んだ男の子は二人で、最終的に天女が羽衣を手に入れ、天に帰ってしまったことなどである。

 

日本の羽衣伝説は、金剛山の羽衣伝説をネタ元にしていると考えてよさそうだ。ならば、だれがそのような伝説を伝えたのだろうかと考えた。

 

境内に、この地に伝わる絹織物の歴史を記した案内がある。

伊香具神社のある地名は大音(おおと)という。大音糸という生糸の産地で、かつて生糸を用いた冠の紐や刀の下緒を宮中に献上していた。応神天皇37年に呉の国から若狭を経由して渡来した4人の女工が、長い旅の疲れをこの地で癒し、そのお礼に糸とりの技法を教えたという。それを受け継いで、伊香具神社の神職が伊香山の麓に湧き出る軟質の水(独鈷水)で生繭を煮て製糸を試みたところ、白い光沢のある弾力に富んだ生糸がとれた。それが村人に伝えられ、近年まで、大音糸は医療用糸、パラシュートの糸、琴や三味線の糸として使われていたというのだ。

 

呉の国から来た女工の話で分かることは、この地は朝鮮半島から敦賀に来た人が京都や奈良へ行く通り道になっていたということだ。羽衣伝説を伝えた人は、そういう人たちだった可能性がある。

 

伊香具神社は菅原道真や足利尊氏が信仰したこともあり、中世には隆盛を極めた。賤ヶ岳の戦いによって全てが焼失したが、慶長13年には社殿が再建され、それから現代まで伊香郡の総鎮守社として栄えた。

 

参考文献

1)川口謙二:鳥居 百説百話、東京美術選書、1987

2)谷川健一編:日本の神々、白水社、2009

3)長谷川秀記:世界の神話伝説 総解説、自由国民社、1994

4)依田千百子:朝鮮神話伝承の研究、瑠璃書房、1991

5)黄浿江:韓国の神話・伝説、東方書店1991