デリー最終日2012年08月01日 17時39分27秒

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昨日の停電のまとめが地元紙に載ってました

ガソリンスタンドは使えなくなったので自動車の人はいつ止まるか心配しながら走ったようで
今日はどのスタンドも長蛇の列・・・まるで震災直後の日本です




さすが牛の国

路端には牛がゆっくりしてます



ジョージクルーニー似の開業医の医院にあった神棚

こちらの女性の神はなかなか素敵



デリーの空港はうるさい

出国時も旅程表を持ってないと入れないし
搭乗時も手荷物にタグがついて、それに確認済みのスタンプが必要だし




液晶で明るさの変わる窓;全開状態



全閉状態



やっと日本食にありつけた!!!

空港には日本食はもちろん麺の類も無い



夜行便なので日本に朝着の朝飯



787のトイレにあったメッセージ



成田の到着ロビーではオリンピックの帰国会見の準備だと思う
あと2分で来ますとか言ってた
誰だったんだろう



とにかくそれでなくても疲れるインドで予定外の大停電もあったので疲労困憊で帰国

今度は年末か年明けになりそう(^_^;;;

今度の大停電についてのFTの社説2012年08月02日 22時36分05秒

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今回のインド北部の大停電についてFTが社説で解説してます

このへんはインドも中国も同じようなものなのはわかるのですが・・・

日本も大同小異かな?と思います

東京都の猪瀬副知事が北海道稚内の風力発電と太陽光発電を視察してますが
国ももっと地に足がついた動きをしないとインドを笑えない (^_^;;;



インドの驚き2012年08月04日 18時14分05秒

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インドに初めて行ってびっくりしたこと

その1;運転

とにかくすごい、ある意味中国より上?

この写真は高道路の料金所なので車線が区切られてるのですが一般道では
3車線の道に6-7台が並行して、しかも少しでも隙きがあれば車線変更します。
だからしょっちゅう車はぶつかってみんなボコボコ。
だからお金のある人は前後にブッシュバンパー、横は頑丈なサイドステップをつけてます。
当然自賠責なんかないので「もしぶつかっても自分の車は大丈夫」なようにとのこと。

元イギリス領なので交差点はみんなランアバウト--ここにみんなどんどん進入します
ほとんど「無謀!」

混雑の一番の元は「リキシャ」(だったと思う)と呼ぶ3輪車・・・こいつは小さいのでどこにでも
入ってきます。しかも遅い。2車線の道なら真ん中の白線の上をどうどうと走ります。

だから運転手は自分がまっすぐ走るときはクラクションを鳴らしっぱなし

横に車が見えたらすぐ「俺は真っ直ぐ行くぞ」という意味でクラクション

「インドで一番先に壊れるのはクラクションとブレーキだな」と二人で笑ってました


車は高級車以外はマニュアル

今回お世話になった会社の運転手はめちゃくちゃうまい

クラクションを鳴らして車線変更をしょっちゅうしながらのギアチェンジがめちゃ的確!
引っ張り過ぎないし高過ぎないし・・・一緒に行った人間と感心してました

2;トイレ

眼から鱗の「どこでも水洗」「しかもホテルにあったのと同じ手動ウォシュレットがついてます」
基本はトイレットペーパーもついてます(たまにきれてるが)

かえって4星以上のホテルのトイレが手動ウォシュレット無し(^_^) 

3;免税店

帰りにお土産を買おうと免税店でルピーを出したら
レジの子「使えません。カードとかはないですか?
ルピーを使えるのはインド人だけです」
僕「そんな事言ったってルピーが余ってるんだよ」
ちょっと押し問答みたいになっていたらなんと免税店の人間がインド人を連れてきて
係「この人のパスポートとボーディングパスを使いましょう」
僕「嬉しいんだけどいくらチップを渡せばいいんだよ。100ルピーじゃ少ないし
1000ルピーだと1500円で渡しすぎだし」(心の声)
そうこうしてるうちにその人は「じゃあ!」と言って行ってしまいました。
僕「良かった!」(心の声)

彼らも慣れてるみたいで外国人が来ると店の前で
「誰かパスポートとBパスを貸してくれませんか?」
と声をかけてました。

傑作は一緒に行った人間が2万円分位残って、買うものも無いので両替しようと銀行に
銀行「両替できません」

出国手続きが終わってるのでいわゆる国外なんですね

次回行く時まで使えないルピーを温めておくしかないみたいです(^_^;;;

この辺は団体旅行なら添乗員から注意が入るんですが個人旅行は要注意です



第182弾 のむけはえぐすり 近江の帰化人 京阪線沿線 坂本 滋賀院門跡2012年08月05日 15時47分56秒








第182弾  のむけはえぐすり

近江の帰化人 京阪線沿線 坂本 滋賀院門跡

 

 今の近江の湖西、大津市の辺りは古代の滋賀郡であり、北から真野鄕、大友郷、錦部(にしごり)鄕、古市(ふるち)鄕があった。かつての大友鄕から古市鄕にかけて、今の坂本から石山までの14.1Kmの区間を京阪石山坂本線が走っている。21の駅があり、複線の線路をカラフルな2両編成の電車が、頻繁に行き交っている。

 

今、まさにこの京阪電車の走る辺りに、地図のように北から三津首、穴太村主(あのうすぐり)、志賀漢人(あやひと)、大友村主、錦部村主、再び大友村主、大友但波史などの古代の帰化人が住んでいた。

 

京阪電車の駅をひとつひとつ立ち寄りながら、古代の帰化人たちの足跡を訪ねてみたいと思った。

 

今回は、始発の坂本駅である。

 

新しい駅舎の坂本駅から、日吉神社へと向かう。日吉馬場と呼ばれる参道の両側に200本ほどの桜並木が植えられ、ところどころに石燈籠が置かれている。明治の廃仏毀釈で一旦ここにうち捨てられていたものを、再び整然と並べたというから面白い。道の両側には、大人の肩ほどの高さの石積みに囲まれた建物が並んでいる。山上の坊に対する里の住まいで、里坊といい、坂本の町にはたくさんある。三津首が出自とされる最澄の誕生の地に建てられた生源寺の案内に、里坊とは「環境の厳しい山上での修行を積んだ僧が、高齢になり、天台座主(ざす)の許可を得て隠居所として住んでいた場所」と記されている。

 

暑い夏の日差しのなかを桜並木の木陰に守られながら200mほど歩いて、左に折れた先に、写真のように石積みが一段と高い、白い塀に囲まれた滋賀院門跡がある。里坊を代表する滋賀院は延暦寺の総本坊である。元和元年(1615)に慈眼大師天海が京都の法勝寺を移築して建立されたのが始まりで、1655年に後水尾天皇から滋賀院の号と寺領一千石を賜り、江戸時代の末まで天台座主であった法親王が代々住まわれていた。明治時代に火事で焼失するまでは滋賀院御殿と呼ばれていたが、現在の建物は山上にあった建物を移築したものだという。

 

坂本の町を美しく見せているのは、町の至る所にある里坊を囲む石積みである。滋賀院門跡の美しい曲線の石積みに代表されるその石積みは、穴太衆積みと呼ばれる技法で作られている。

 

穴太衆積みは自然石と粗割石を使用して積み上げる野面積みの一種だが、穴太衆積みが有名になったのは、織田信長の安土城の築城に用いられてからだ。安土城の石垣作りを各地の石工たちが競い合うなかで、穴太衆の築いた石積みはイエズス会のルイス・フロイスが、「城壁も石垣も頗る高かったが、たいそう巧妙に築造されていて、・・・極めて堅固で立派に見え・・・」と驚嘆するほど素晴らしかった。それ以後、全国の大名の間に穴太衆積みの評判は広がり、穴太衆は各地の城づくりに招かれ重用されるようになった。

 

石積みの技術者として穴太衆が歴史に登場するのは、足利義政が銀閣寺の東山殿の石垣を築くのに必要な雑木を「あなうのもの」に与えよという記述が最初である。これより先の14世紀の史料には、「穴太散所法師」という記事がある。散所とは「古代から中世において、その住民が年貢を免除されるかわりに権門社寺に属して土木や掃除などの雑役に服した地域」をさしていて、穴太には比叡山の支配下にあり石積みのような特殊技術を持った隷属民が、下級僧侶として集団的に居住していたとする見解もある(平野、39P)。

 

穴太衆の本貫は、今の京阪電鉄坂本駅から穴太駅の間のもっと山の方といわれている。その辺りには高句麗や百済の流れを汲む、ドーム状に天井が持ち送りになった横穴式古墳が坂本に30基、穴太に234基、滋賀里に158基と数多く、古代の帰化人たちが居住していた足跡がある。

 

穴太衆積み14代粟田純司氏は、「その横穴式古墳の石組みの形は、穴太衆積みのルーツといってよい型だ」という(平野、86p)。ならば、穴太衆は百済の帰化人の子孫かというと、その間には千年に近い時間差がある。技術は伝わったかも知れないが、それを子孫とまでは到底いえないだろう。

 

坂本に住み、穴太衆積みを今に残す粟田純司さんにしてからが、初代は阿波国の石工、阿波屋喜兵衛だったという。豊臣秀吉の命により、穴太衆が徳島城を修復した折、見習い職人となった喜兵衛が穴太衆の帰国と共に坂本に移り住んだと伝えられている。その頃、元禄年間の坂本には穴太衆が300人ほどいたというが、今は阿波屋改め粟田建設が一軒残るだけだという。粟田純司さんで14代を数えるが、それでもたかだか300年である。5世紀に住み着いた百済の帰化人、あるいは7世紀の白村江の後に大挙してやって来た帰化人の子孫が、千年経って穴太衆だなどと、軽々しくいえない理由はそこにある。

 

今回、13代目の万喜三さんが伝えた穴太衆積みの極意に、なるほどと思うことがあった。それは、石垣の壁となる石面の合わせ口を、表面となる石面で合わせないで、表面から10cmほど奥で合わせなさいという話だ。石垣の表面をぴっちり合わせた割石や切石による石垣の方が、ゆがみを生じやすい。上手に過重を分散できないからだという。さらに、石積みにはタブーも多い。基本は品の字の形に積むのだが、石の形状に合わせて適当に積んでしまう「落し積み」もタブーのひとつだ。農漁村にみる素朴な石垣が、それだという。

 

「石がそこに座りたいといってるやろ。そこに積んでやるこっちゃ」といっていた万喜三さん。座右の銘は、「石の声を聴け」

 

参考文献

1)平野隆彰:穴太の石積、あうん社、丹波市、2007

2)大津市役所:新修 大津市史Ⅰ 古代、1978

CMHカナダヘリスキー用のオリンパスTG-1をゲット2012年08月12日 21時44分00秒

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CMHのヘリスキー用に探していたヘビーヂュ-ティカメラ オリンパスTG-1

数日前何気なく価格コムを覗いたら結構安くなってたので夏休みに遊ぼうと思って
買いました。

昨日届いたのですが帰りが夜遅かったので今日仕事に持って行ってとりあえず外観だけ





GPSもついてます

コレで撮影場所のログも取れる


明日以降じっくりリポートします

暑い夏はとんQ本店の「トンテキ」2012年08月13日 20時33分52秒

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今日も暑い中テニスです

本当にバテてしまいますね(^_^) 

「とんQの夏といったらとんテキ」でしょう





今回はTG-1の画像です





このカメラのすごいところはスーパーマクロで1cmまで寄れる

しかもLEDライトが付く
愛用のG-SHOCKを



フェースブック始めてしまいました2012年08月14日 21時03分11秒


インドから帰ってからフェースブックを始めてしまいました


実はインドのデンタルショーの時のコンパニオンの女の子がフェースブックのアカウントを
教えてくれ「帰ったら連絡頂戴」と言っていたので・・・仕方なく(^_^) 

実名登録だし面倒だなと思ってやってなかったのですが、一応登録し彼女のアカウントを
見てメールも出したんですが・・・音沙汰なし(^_^;;;

ふられたな(^_^;;;

FBに登録したおかげで元の会社の方から「お友達」登録が。。。

まあそれはいいんですが・・・わかったこと

「FBは動画のアップロードが簡単」

ブログだとYouTubeにアップしてから埋め込みコードを入れたりしなければいけませんが
・・・そのままアップするだけ


監督 プラハはいかがですか?2012年08月14日 22時00分15秒


お土産話のアップを楽しみにしてますよ(^^♪

こんな熱い夜はジャニス・ジョプリンでも聞こう2012年08月15日 20時34分29秒

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今日もテニス・・・毎日が変わりない生活ですが・・・その後「とんテキ」

買いたいものがあってつくばのララガーデンに

いつもは駐車場の空きスペースを探すのに苦労するのに・・・ガラガラ

お盆だったんですね



なんとユニクロもレジは一人だけ・・・しかも今日は夏物バーゲンの最終日でした

ラッキー

ふと思い出してジャニス・ジョプリンのサマータイムを聞いてます

彼女は夭折したけどすごかったなぁ

Me And Bobby McGeeとかMove Overとか今聞いてもドキドキします