ユーミンの東京公演も当たりました(^_^) ― 2014年04月16日 22時00分29秒
小田さんの東京公演 あたったどぉ!!!! ― 2014年04月14日 22時10分16秒
めざましライブで小田さんを聴いてきました ― 2013年11月03日 03時25分44秒
青春;サイモンとガーファンクル ― 2009年06月29日 21時19分59秒
サイモン&ガーファンクルが来日するという
当初7/10&11が東京ドームコンサートだったが7/11&12が恒例の河口湖テニス合宿なので完全にあきらめていた。
しかしというか当然というか追加公演があるという・・・7/15(水)
但しS席2万円である、しかも音は勧められない武道館
・・・結局パス(^-^;
僕とS&Gとの出会いはFEN(FAR EAST NETWORK)・・・今はAFN(American Forces Network-米軍放送)と呼ぶそうですが・・・当時中学生だった僕が新聞配達で貯めたお金で買ったばかりのソニーの家庭用オープンリールレコーダー(オープンですよ)で、北海道の端で深夜にならないと聴けないFENで流れてくる歌を録音したアルバムがS&Gの最初のアルバムでした。「水曜の朝、午前3時」・・・何の情報も無く聞いたのですがこれがとっても気に入って・・・以降S&Gにべったりのめり込んだ。
彼らが音楽を担当した映画「卒業」は都合20回位は見たなぁ。キャサリン・ロスのファンになっちゃった。学生になった時に金沢八景の3流映画館に卒業が何故かかかって、一日見てましたね(^_^)
好きだった女の子に「明日に架ける橋」を訳して贈ったこともありましたね。今思えば恥ずかしい訳ですが。。。
そして初来日の後楽園でのコンサート・・・チケットが取れなくあきらめかけていたときに会社の先輩がCBSソニーに友人がいるというのでコネを使ってゲットした。当時は当然ながら屋根のない後楽園でのコンサート。
そして伝説の『セントラル・パーク・コンサート(The Concert in Central Park)』・・・これは米国に駐在していた知人がCATVで流れたコンサートをビデオに録画し宅急便で送ってくれた。当然日本ではまだ紹介されて無く・・・これもすり減る位みたものです。
米国に駐在してセントラルパークを見に行きましたよ・・・ここがあのコンサートの会場か・・・僕に取ってはセントラルパークはそういう位置づけです・・・感無量でしたね。
写真はライブアルバム『セントラル・パーク・コンサート(The Concert in Central Park)』
ああ、勘違い!”ジョニー・ビー・グッド” ― 2009年01月12日 02時07分53秒
ああ、勘違い!”ジョニー・ビー・グッド”
チャック・ベリーの名曲で”ジョニー・ビー・グッド”というのがあります。ジミ・ヘンも演っていたし、ほとんどのロック・ミュージシャンがカバーしているので超有名な曲ですが・・・何故か僕はこの曲の意味は(タイトルは)”ジョニー(少年)よ、いい子であれ”だと思っていました。
歌詞は;
Way down in Louisiana close to New Orleans
Way back up in the woods among the evergreens
There stood a log cabin made of earth and wood
Where lived a country boy name of Johnny B. Goode
He never ever learned to read or write so well
But he could play the guitar like ringing a bell
Go go
Go Johnny go, go
Go Johnny go, go
Go Johnny go, go
Johnny B. Goode
「ニューオリンズの田舎町に ジョニー・ビー・グッドという少年がいて、彼はギターが上手なんだ。頑張れジョニー・ビー・グッド!」というものだったんですが何故か歌詞の意味は全然考えていなかった。
今日夜中のワールド・ロック・フェスティバルを見ていてタイトル曲が英語で出たのをみて初めて気づいた。なんと30数年振りに訂正をすることになった^^;)
同じような話で20数年前に見た映画;”プライベート・ベンジャミン”
これも”ベンジャミンの私生活”みたいな意味だとばかり思っていた。
あらすじは「2度の結婚に失敗した世間知らずの富豪の娘が、ひょんなことから軍隊に入り、騒動を起こしながらも自我を確立していく姿を描くコメディ映画。」
ところがスピルバーグとトム・ハンクスで98年度アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した作品”プライベート・ライアン”で初めて「プライベートに一等兵」という意味があることを知ったのでした。
思いこみというのは恐ろしいですね。ちょっと辞書を引くとか歌詞をちゃんと読めばわかるんだけど(^_^;;
写真はフライペンにある小太鼓
久しぶりにJAZZの話題でも・・・”DUET Chick Corea & Hiromi” ― 2008年10月19日 20時36分55秒
”DUET Chick Corea & Hiromi”
久しぶりにJAZZの話題でも・・・
チック・コリアは僕が大学2年の時(1971)にリリースされた"Piano Improvisations Vol. 1 & 2”というソロアルバムが衝撃的だった--それはJAZZという概念では無かったがピュアなピアノの即興の音があった。それまでもJAZZの概念のピアノソロは色々聴いていたがここには全く別の世界があった。
そしてその翌年だったと思うが"Return to Forever"というフュージョン系といってもいいアルバムとグループの来日--カリブ海の碧さというのかはわからないがそんなイメージの曲とそして本当に楽しげなステージがそこにあった。
そして時は流れて1990年(頃)、米国駐在してるときに自社がスポンサーしていた”JVC JAZZ FESTIVAL"で”CHICK COREA NIGHT”というのがカーネギーホール(だったと思う)であった。当然駐在員特権でチケットをゲットした(^_^)
この時は若いボーカリスト(後でクラシックに造詣の深い友人に確認したら当時一番注目されていたクラシックのボーカリストだった)とチックのDUETだったのだが、これがなんともフリーと言えば聞こえはいいが”アナーキー”--メロディーなんかなくボーカルとピアノが”掛け合ってるだけ”だった。これも”JAZZ”を聴きに行った僕にはちょっと唖然とするステージだった。
このアルバムの上原ひろみは12ch(TX)の”ソロモン流”でちらっと見た記憶はあったがあんまりその後記憶に残っていなかった。
実は昨年東京ジャズフェスティバルでチックがプロデュースをしているのを知って、そしてブルーノートにも出ることが分かったので聞きに行こうかと思ったのだがちょっと都合が悪く聴けなかった。
いま"DUET Chick & Hiromi"を聴いてみて行かなかったことを後悔してる
disc 2のアランフェス交響曲--”RETURN TO FOREVER”のアルバムで”ラ・フィエスタ”という曲の♪ラッタッタ・タッタタタ♪の旋律が軽快に響く
やっぱJAZZはいいなぁ。。。(^^♪
♪上を向いて歩こう♪ ― 2007年08月12日 01時09分16秒
♪上を向いて歩こう♪
今ではもう22年前にもなるが日航機事故で亡くなられた坂本九さんの奥さんである柏木由紀子さんの書かれた本である。
たまたま見かけて読んだのであるがあの事故の時の彼女の気持ちが書かれていて、読んでいて本当にどうしようもない気持ちになってしまう。
この本で知ったのであるが彼はいつもは全日空しか使わないのであるがあのときだけは知っている方から送られてきたチケットで日航機に搭乗したそうである。そしてたまたま乗った日航機が事故を起こした。こういう偶然が起こるという現実を嫌でも知ることになる。
本のタイトルの「上を向いて歩こう」は僕が初めて電蓄(当時こう読んでいた---レコードプレーヤーである。多分\6,980だった)を自分の小遣いで買った時に買った最初のシングル盤レコードでした。確か東芝で赤いレコード盤--普通の黒いレコード盤は埃がつきやすく帯電防止材の入った赤いレコード盤--だった。何度も何度も聞いた曲です。
九ちゃんのあの底抜けな明るさが当時の僕からみてとてもまぶしかった。そしてそれはそのまま普段の彼の生活だったこともこの本で知ることが出来た。そして障害者の方への彼の献身的な取り組みも。本当に人間坂本九がこの中に書かれている。
最後には彼の遺体の確認の決め手となったのが彼が信じていた「笠間稲荷のお守り」だったことも無惨な現実と一緒に書かれている。
「ジェンカ」とか「幸せなら手をたたこう」とかみんなで踊る(?)曲が多かったのも彼の特徴。
話はずれるが中学・高校時代にフォークダンスが流行っていて(というか授業の一環で)マイムマイム(だっけ?)とかで踊っていて「もうすぐ好きな女の子と踊れる」という時に限ってその直前で曲が終わって、そこから逆回りになってしまうという苦い(?)経験をした時期でもあります。(いま思うと「マーフィーの法則」ですべて説明出来てしまうのであるが)
そして米国のビルボードとキャッシュボックスで両方1位を取ったのは日本ではこの曲だけ、彼だけということも。
いずれにしても・・・坂本九さんに合掌
ス・ワンダフル~誰も奪えぬこの思い ― 2006年11月24日 23時13分11秒
また一人僕の好きなボーカリストが亡くなった。
アニタ・オデイ---白人女性ジャズボーカリストの先駆者的な存在で、ハスキー・ヴォイスシンガーのはしりでもある。
(そういえばフライペンのラムちゃんといわれているエ○ちゃんもハスキーな声で唄うんですよ・・・関係ないけど)
彼女のアルバムを何枚か持っていてアパートでよく聴いた。
中でも一番好きだったのが”アニタ・シングス・ザ・モスト”
オスカー・ピーターソンのピアノと レイ・ブラウンのベースのトリオという最高の設定。
アルバムの最初の曲;
”ス・ワンダフル~誰も奪えぬこの思い ”
'S wonderful, 's marvelous
That you should care for me.
'S awful nice, 's paradise!
'S what I love to see!
You've made my life so glamorous,
You can't blame me for feeling amorous.
'S wonderful, 's marvelous
First Time
That you should care for me.
Last Time
That you should care for, that you should care for,
That you should care for me.
491 Houseで高プロと ― 2006年10月22日 04時28分39秒
二次会491Houseでの高プロとのツーショット
男だけの491 ― 2006年10月08日 01時55分25秒
491Houseでの二次会・・・男だけ
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