フライペンの美味しい料理;焼きしいたけ2007年11月20日 00時11分45秒

フライペンの美味しい料理;焼きしいたけ

焼きしいたけです

色々出てくるわ(^_^)

第74弾 のむけはえぐすり 原善三郎の話 その52 富士見町の”オヤジ”2007年11月20日 22時41分56秒

原善三郎の話 その52 富士見町の”オヤジ”

第74弾 のむけはえぐすり 原善三郎の話 その52 富士見町の”オヤジ”

東京の麻布には坂が多い。

地下鉄広尾駅から、有栖川公園の手前の山裾をめぐるように歩いて行くと、新富士見坂がある。その先の青木坂を登ると、フランス大使館の先に新坂の下り坂がある。写真のように、どの坂にも名前の由来が書かれた標識がある。

この辺り、麻布の旧富士見町に、オヤジ(Thomas Blake Graver グラバー)が明治40年(1907)から73才で亡くなるまでの4年間住んでいた二階建ての洋館があった。

オヤジはここで、五代友厚さんが紹介してくれたツルさんと、二人の間に出来た長女のハナさんと長男の富三郎さんと暮らしていた。  

グラバー商会は明治3年(1870)に、ジャーディーマセソン商会に資金を絶たれ倒産した。そんなオヤジに手をさしのべてくれたのは、あの隠れ間にいた仲間だった。  

三菱の創業者の岩崎弥太郎さんは、坂本龍馬さんの海援隊を引き継いだ。岩崎さんがオヤジの手がけた高島炭坑の払い下げを政府から受けると、オヤジはそこの所長になった。オヤジが東京に戻ると、三菱の相談役になった。オヤジがキリンビールの前身のジャパン・ブルワリー・カンパニーを経営したいと言えば、岩崎さんはスポンサーになった。

オヤジが東京に住む時に、芝に借家を用意したのは、伊藤博文さんだ。そこに伊藤さんや井上馨さんが訪ねてきては、昔話や政治の話で盛り上がった。オヤジが富士見町に移ったのも、キリン麦酒から功労金が支給され、新居を建てることができたからだ。

伊藤さんと井上さんが政府に働きかけて、オヤジに外国人として初めて勲二等旭日重光章をくれるというので、せっかくだから頂戴した。   

話がこれで終わっては、ジャーディン・マセソン商会だけが悪者になってしまう。

ジャーディン・マセソン商会が手を引かざるを得なかった訳を、衰退期のグラバー商会の経営状態から紐解いてみよう。

南北戦争が終わると、1866年には世界的な不況に見舞われた。香港上海銀行の重鎮だったデント商会ですら、倒産している。香港のジャーディン・マセソン商会も、二大主要商品だったアヘンと茶の貿易額は落ち込み、資金が逼迫していた。

ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店でもあったグラバー商会の貿易額は、1864年頃には横浜支店の3分の1もあったのに、1868年以降は9分の1に落ち込み、代わりに神戸が伸びてきた。すでにグラバー商会はジャーディン・マセソン商会に34万ドルの負債を負い、厳しい取り立てにあっていた。  

それでもジャーディン・マセソン商会は1868年に、グラバー商会に神戸代理店を依頼している。それでグラバー商会は一息つくことができたはずだが、次に手を出した米穀取引でも思うような利益が上げられなかった。

得意の日本政府相手の取引では、香港でいらなくなった中古の貨幣鋳造機を大阪造幣局に売りつけようとした。だが、日本側はしっかり買入実際価格を調査していた。これまでのように、言うがままにコミッションが入る時代ではなくなっていた。結局、オリエンタル銀行が中に入り、グラバー商会は儲け損ねた。  

高島炭坑の開発にも、資金がかかりすぎた。度重なる追加融資の要請に不信感を抱いたジャーディン・マセソン商会はグラバー商会の経理を調査した。すると、グラバー商会が勝手に高島炭坑をオランダのトンプリング商会の抵当に入れ、その他にも多額の債務を負っていることが分かった。

驚いた香港本店のKeswickさんはグラバー商会から全ての債権を引き上げ、1870年8月にグラバー商会は倒産に追い込まれた。

グラバー商会が衰退したのは、主要な商品であった武器が売れなくなり、慣れない商品の取引で失敗を重ねたこと、貿易の拠点としての長崎の地位が低下したこと、競争相手が増え、かつてのように何でも日本政府に吹っかけて儲けることができなくなったことが原因のようだ。だからといって、長年のパートナーにも黙って多額の借金を重ねていたのでは、ジャーディン・マセソン商会も手を引かざるを得なかったのだろう。

明治政府の高官や実業界の重鎮を集めたオヤジの葬儀は、東京のトリニティー英国教会で行われた。オヤジの遺言により、亡きがらは長崎の浦上に埋葬された。

最後にオヤジが帰りたかった所は、Aberdeenでもない、あの隠れ間のある長崎だった。

参考文献

1)山崎識子:隠れ間のあるじ、栄光出版社、1994

2)石井寛治:近代日本とイギリス資本 ジャーディン=マセソン商会を中心に、東京大学出版会、2001