のむけはえぐすり 第84弾 原善三郎の話 その53 ジャーディン・マセソン商会 危機の60年代 ― 2008年03月02日 22時59分03秒
のむけはえぐすり 第84弾
原善三郎の話 その53 ジャーディン・マセソン商会 危機の60年代
アメリカの南北戦争が終わると、綿の市場が暴落し、世界の景気は急速に冷え込んだ。1866年にはオーバレンド・ガーニー(Overend and Gurney)商会の破綻に続き、多くの銀行が倒産した。ライバルのデント(Dent)商会は倒産し、ジャーディン・マセソン商会も1863年から赤字決算が続き、存亡の危機に陥った。
ジャーディン・マセソン商会の危機を救ったのは、ロンドンのマセソン商会とRobert Jardineさんだった。
ロンドンのマセソン商会の方は、この危機の間も、ジャーディン・マセソン商会に資金を提供し続けた。石井摩耶子さんがまとめたジャーディン・マセソン商会の負債勘定を見ると、1865年から負債総額は毎年700万ドルを超え、その中ではマセソン商会からの借入金の割合が増えており、1868年には51.3%まで達し、依存度が高まっている(近代中国とイギリス資本、45P)。
1868年をピークにそれ以降は、会社の業績は回復し、1870年になると負債総額は300万ドルに減り、マセソン商会への依存度も36.6%にまで下がっている。この借り入れがなければ、ジャーディン・マセソン商会もデント商会と同じ運命をたどったことは間違いない。
Robert Jardineさんの方は、ジャーディン・マセソン商会のパートナーや出資者の苦境を救った。
Robert JardineさんはWilliam Jardineさんの兄の子供で、ほかにAndrew、David、Josephの3人の兄がいて、Robertさんは末っ子だった。1855年の時点で、4人兄弟のジャーディン・マセソン商会への出資額は82%に達していた。その後、DavidさんとJosephさんは子供がいないまま亡くなったので、Robertさんが二人の兄の遺産を受け継いだ。その結果、Robertさんは、ジャーディン・マセソン商会の最大の出資者になっていた。
当時の出資金に対する配当の方法は、現代とは全く違っている。どんなに会社が赤字決算であっても、会社を運営するパートナーは、出資者に対して一定の配当金の支払いを保証しなければならなかった。配当還元方式というようだ。それを当時の商会の利益配分表で見てみると、1861年の配当は108万ドルあったものが、1863年からはほぼ毎年20万ドルから60万ドルの配当金の不足が生じ、パートナーたちにマイナス出資が強いられている。
その上、このような経営状態でも、出資金に対する利子の支払いは維持されることになっていて、現に毎年30万ドルから40万ドルの利子の支払いが継続されていた。
こうした損金も当時の商習慣では、パートナーたちの会社での活動の度合いに応じて配分されることになっていた。そのため、商会を経営していたウィッタル(J. Wittal)さんやケスウィック(W. Keswick)さんはマイナス出資の大部分を引き受けることになり、1871年にはウィッタルさんが83万ドル、ケスウィックさんが30万ドルの負債を負うことになった。個人的には、とうに破産状態である。
対照的に、商会を辞めたRobertさんの出資額は1871年には464万ドルであり、それに対して利子や配当を受け取る権利があり、経営には携わってはいないのでマイナス出資を負担する義務はなかった。だが、商会の経営状態では、それが不可能であることは明らかだった。
それでも、Robertさんは商会への出資を引き上げなかった。他の有力な出資者がいち早く商会から出資金を引きあげていたのに、である。それによって商会の資本金は維持され、破産から救われた。その上、1871年には、自らの出資額を196万ドルに減らし、若い経営者たちに負わされた負債を一括して肩代わりし、帳消しにしたというわけだ。
Robertさんのこの時の帳消し分は、その後、ジャーディン・マセソン商会の業績回復と共に、商会からの利子の形で何年かに渡って返されている。そのお金でRobertさんはイギリスの土地を購入し、国会議員になり、準男爵になった。
写真は、Sir Robert Jardineさんの肖像画である(東洋文庫より)。Robertさんは1849年から中国に11年間いて、ロンドンに戻り、1905年に亡くなっている。白髪混じりのあごひげと、頭のハゲ具合と、腰の引けた姿は1880年以降の姿だと、私は想像している。
「ところで、ジャーディン・マセソン商会が日本のグラバー商会から債権を引き上げたのは、いつだったッケ」 「エーッと、アッ、1870年の8月だ」 「フーン・・・・」
参考文献 1)石井摩耶子:近代中国とイギリス資本 19世紀後半のジャーディン・マセソン商会を中心に、東京大学出版会、1998 2)Maggie Keswick:The thistle and the jade A celebration of 150 years of Jardine, Matheson & Co., Octopus Books Limited, London, 1982
勝烈庵;カキフライ ― 2008年03月20日 09時11分45秒
勝烈庵;とんかつ ― 2008年03月20日 09時13分36秒
勝烈庵;創業当時のお店のリーフレット(?) ― 2008年03月20日 09時15分48秒
勝烈庵;玄関 ― 2008年03月20日 09時18分11秒
勝烈庵;外観 ― 2008年03月20日 09時19分39秒
内房勝山港、萬栄丸にて41杯マルイカを釣りあげました その2 ― 2008年03月21日 21時34分00秒
内房勝山港、萬栄丸にて41杯マルイカを釣りあげました ― 2008年03月21日 21時41分09秒
初体験済みました(^_^) ― 2008年03月23日 23時03分14秒
初体験と言っても英語のテストのTOEICのこと
ここのところ初体験とか久しぶりの体験ばっかりです(^^♪
・初めての退職(当たり前か?)
・初めてのハローワーク体験(ハローワークの職員っていい仕事だなと実感しました)
・大学卒業以来の履歴書作成と面接(面接は一回しかしなかったから偉そうなことは言えないけど)
そして今回のTOEIC試験
時期もあるのでしょうが学生が多かったですね。女子学生のミニ姿に見とれてました(^_^)(おじさんだなぁ) 受験したつくばの会場だけで600名位申し込みがあります。@6千円ですから結構言い商売ですね。最近は会社でも義務づけてるし。
リスニングが45分とリーディングが75分、計120分で200問。 リーディングは結構時間が無いですね。長文読解に時間がかかって僕がやっても10分前にやっと終わるくらいだから。 リスニングは昨年から英国とかオーストラリアとかの人間の発音が入るから少し聞きにくいですね、確かに。
結果は1ヶ月後ですがどうでしょうか、出来具合は。
ということでTOEICも終わったのでいよいよゴルフの練習開始です(と言ってもTOEICの勉強でゴルフの練習出来なかったわけじゃなくてテニスエルボーと寒さで練習しなかっただけなんですが)
偶然(^_^)新しい会社のすぐ隣がミニゴルフ場のある打ちっ放しなんです。早速明日あたりから行かなくちゃ(^_^)
最近のコメント