のむけはえぐすり 第110弾 原善三郎の話 その88 神戸取材旅行 神戸バンド2008年11月29日 21時21分10秒

旧居留地9番 チャータード銀行

のむけはえぐすり  第110弾

原善三郎の話  その88 神戸取材旅行  神戸バンド

 

当時、アジア各地の開港場には、バンドと呼ばれる海岸通に造られた西欧的な街並みがあった。神戸のバンドは、居留地の返還式で挨拶に立ったフランスの領事が「極東のモデル居留地」と賞賛したほど、整然として清潔なたたずまいを見せていた。

 

126区画あった居留地の貸与先で、一番多かったのはイギリス人が64区画、次いでドイツ人23区画、オランダ人15区画、アメリカ人とフランス人が11区画ずつと続いた。

 

その中では、バンドの12区画をどのような商社が獲得したのかということに、興味が湧く。というのは、それらの商社は既に横浜にも進出していて、神戸で第1回入札が行われた1868年頃の商社の活動状況が推測できると考えられるからだ。

 

バンドの1番は、横浜では山下35番のAspinall & Cones商会である。この商会は横浜で発祥したイギリス出身の商社で、生糸の輸出では第1位を占め、P&O汽船の代理店を引き受けていた。その後パートナーが去り、単独でCones商会となり、居留地7番に移転した。会社は現在も東京で貿易を営んでいる。

 

バンドの2番は、ニューヨーク出身のWalsh商会。横浜ではWalsh & Hall商会として山下2番で営業し、アメリカ人では最初なので「亜米一」と呼ばれていた。この商会は生命保険の代理店や、製茶、襤褸(ぼろ)木綿の取引をし、神戸では現在の三菱製紙高砂工場の前身となる神戸製紙所を創立した。この商会は、明治15年頃、経営上の理由でHSBCに土地建物を譲渡し、1902年に会社は精算されている。

 

3番と4番は、Smith & Baker商会。横浜ではアメリカ3番館と呼ばれていたが、実際には山下72番で営業しており、製茶輸出にかけては横浜最大の商社であった。保険代理店を行いながら、パシフィック・メイル(P&M)汽船の代理店なども務めていた。この商社は明治末期まで続いたが、バンドの土地は大正期に三井物産神戸支店に譲渡された。

 

5番はオランダ貿易会社(Netherlands Trading Society)。横浜では山下5番で、1881年まで続いた。長崎の出島以来のオランダ政府の国策会社で、初代の代理人はバタヴィアのオランダ東インド会社出身のボードヴァン氏である。大正11年に大阪商船神戸支店となり、現ビルが竣工し、今は商船三井ビルとなっている。

 

6番もオランダ系のAdrian商会。神戸に来て3年で倒産してしまうが、一時期、HSBCやフランスの郵船会社のM&M仏国郵船の代理店を務めていたほどの羽振りの良さだった。明治40年にはOriental Hotelが建てられた。

 

7番は正体不明のアメリカ商人、Franklin Brakeさんだが、明治8年からはCones商会が移転してきた。

 

8番は、幕末に横浜で設立されたドイツ系商社、Schulze & Reis商会。条約締結国でないため神戸ではアメリカ商社として登録され、横浜ではオランダの保護下で山下43番に居留していた。この商会は横浜居留地内のガス管敷設権をめぐって、高島嘉右衛門さんの日本社中と競争したことで知られる。1874年以降は会社としての存続は確認されていない。戦後、川崎汽船の本社ビルとして昭和14年に建設され、神港ビルとも呼ばれている。

 

9番は、オランダ国籍だが、実際はドイツ系のTextor商会。神戸に来て間もなく倒産し、その後はイギリス領事館になり、各国の領事館になったこともあった。昭和13年には、チャータード銀行神戸支店が建設され、今もチャータードビルとして親しまれている。  

写真はチャータードビルで、中はレストランになっている。

 

10番は、横浜でフランスの保護下に設立されたドイツ系のGutchow商会。ドイツ系の中では、最も有力な商会であったが、経営の詳細は分かっていない。横浜では山下92番だったが、1879年(明治12年)には横浜での消息が分からなくなった。営業は東京に設立されたドイツ系のH. Ahrens商会に引き継がれた。

 

11番はグラバー商会であったが、1870年にはご存じのように倒産した。11番はOriental Bankに引き継がれたが、これも1884年(明治17年)に破産した。

 

12番は、前述のドイツ系商社のKniffler商会。運上所にも近く、最高値で落札している。横浜では山下54番にいた。会社の経営は1880年からIllis商会に引き継がれ、現代に至っている。

 

結局、バンドの12区画を獲得した商社の国籍はイギリス2、アメリカ5、オランダ3、ドイツ2であった。居留地全体の国別獲得数の分布と大分違い、イギリスが少なく、名義借りを含めドイツ系が多い。老舗が軒を連ねる銀座のような一等地に、新興のブランドが意気込んで乗り込んでくるのは、いつの時代も同じようだ。現代に残る商社もあるが、名前を消した商社も多い。

 

その後、第一次世界大戦の敗戦を受けてドイツ系商社が撤退したことで、力を付けた日本の商社がバンドに進出し、現代の姿になった。

参考文献

1)神戸外国人居留地研究会:神戸と居留地 多文化共生都市の原像、前出