のむけはえぐすり 第136弾 古代の帰化人のふるさと 大伽耶の川2009年10月17日 03時24分58秒

のむけはえぐすり 池山洞古墳群

第136弾  のむけはえぐすり
古代の帰化人のふるさと 大伽耶の川

 古代の朝鮮半島から日本に渡ってきた帰化人には、他国の侵略に遭って国が衰退し滅びる時に逃れて来た人が多かったにちがいない。

高句麗、百済、新羅が対立する中で、真っ先に滅亡したのは、三国の中間にあった伽耶であった。伽耶は中小の国が緩やかな連合体を形成し、一度も統一されることなかった。中で有力だったのは金官伽耶、阿羅伽耶、大伽耶、古寧伽耶、星山伽耶、碧珍小伽耶の六カ国で、4世紀までは阿羅伽耶と金官伽耶が伽耶の盟主となっていた。400年に高句麗の公開土王の侵攻を受けて阿羅伽耶と金官伽耶が衰退すると、伽耶の盟主となったのが大伽耶である。

最終的に、金官伽耶と阿羅伽耶は532年に新羅に降伏する。大伽耶も562年に新羅によって滅ぼされ、伽耶は歴史から消滅した。この間、倭と呼ばれていた日本は伽耶を任那と呼び、朝鮮半島における影響力を行使しようと、規模はともかく、軍隊を派遣していたことが日韓の資料によって明らかにされている。

今回は、帰化人のふるさとのひとつ、韓国の慶州北道高霊郡にある大伽耶の代表的な遺跡、池山洞古墳群と隣接する大伽耶博物館をたずねた。

高霊に行くには、まず慶尚北道の大邱へと向かう。ソウルから高速鉄道KTXに乗って1時間40分で到着。そこで一泊し、翌日高霊に向かったのだが、あいにく月曜日は博物館の休館日だったので、もう一泊して、翌日再度訪れた。快晴の初日は野外展示や古墳群を見学し、雨天の火曜日は博物館内を見学した。

大邱から高霊へは、光州に向かうオリンピック高速道を使い、40分で高霊ICに着く。途中は傾斜の緩やかな小白山脈の山並みが続いている。その中を新羅や高句麗の大軍が騎馬を率い、兵糧を携えて移動する姿を勝手に想像する。大部隊が徒歩で移動することは可能であっても、兵站を維持することは容易ではないと思った。

高速道路を下りて、間もなく会川の橋を渡る。最近は川を見ると、ついつい浅瀬を避けて舟が遡上する姿を思い浮かべてしまう。この川なら多少大きな舟も往来できるとみた。

写真は池山洞古墳群だが、右奥の山裾に会川の流れが見える。会川は高霊郡の中央を流れる大伽川と小伽川のどちらかの支流らしいが、支流でもこれだけ豊かな流量がある。大伽川と小伽川ともやがて錦川となって洛東江に注ぐ。洛東江を下流にたどれば、釜山近郊の金海地方を支配する金官伽耶の領内を通り、日本海へと出られる。上流にたどると、洛東江は大邱市内を東に向かい、永川市あたりで北に迂回するのだが、そのあたりは新羅の都、慶州から直線距離で30Kmほどである。

交通手段としての川は現代の高速道路網にも匹敵するようだが、輸送力はどうだろうか? 

話は前後するが、高霊の隣に陜川(ハプチョン)という町がある。ここもかつては大伽耶を構成する小国、多羅国があったと推定されているところだ。陜川には多羅国の遺跡の玉田古墳群があり、隣接する陜川博物館がある。今回、ここも訪れたのだが、館内に古代の集落を復元した巨大なジオラマがある。

写真を紹介できればよいのだが、撮影が禁止されているので公表が難しい。概形を説明すると、集落は川の畔にある。人の大きさと比べると、周囲は数100mほどだろう。集落全体が木の柵で囲まれている。中は、さらに5,6軒の建物を一単位として、柵だか垣根だかで囲まれている。建物は、高床式の倉庫であったり、竪穴式の住居であったり、見張り台のような楼閣であったり、中には王の住居と思われる幟を立てた高級そうな住宅もある。鉱滓や鉄を作る材料が散乱し、人々が忙しそうに働く製鉄炉のような一角もある。

川に面して門がある。門の左右には矛を持った衛兵が立ち、外敵に矢でも射るつもりなのか、2階建てになっている。外壁の外には、侵入を阻むための切り立った木が巡らされ、集落の中には隊列を組んだ兵士が見回っている。いつ敵が来ても戦える臨戦態勢がとられている。

川岸から川に突き出た木の桟橋が設けられている。一つの桟橋には、一人の船頭が櫓を漕いで操る平底の木造の舟がつながれ、数人で荷を降ろしている。もう一つの桟橋には、やや大きめの船が二本のマストの帆を蛇腹にたたんで停泊している。

傍らを同じ形の帆船が二本のマストに四角い帆を一枚ずつ上げて、川を航行している。船尾には屋根の着いた船室もあって、かなりの物が積めそうだ。危険を伴うが、この帆船なら日本海を渡って行けそうだ。

話を大伽耶に戻す。

大伽耶の祭祀用に、ニシンやズワイガニの骨などの海産物が見つかっている。それ以上に驚くのは、5世紀以降、大伽耶式土器が日本各地に見られ、耳飾りや金銅の冠といった政治的な地位を象徴する大伽耶式の威信財が福井県、富山県、埼玉県などでもみられることだ。例え内陸の国であっても、川を介して海外と交流することができる証拠だろう。

今回、高霊をたずねてみて、古代の国は川をなくして繁栄はありえないと思った。川を利用して外敵が侵入することもあるが、逃げるためにも川が使われる。危険を覚悟すれば、川を下って海を渡ることはできた。

それでも、ふるさとに何事もなければ、そんな無理をして海を渡ることもなかったはずだ。

参考文献
1)大伽耶博物館:大伽耶の歴史と文化、2004
2)朴天秀:伽耶と倭 韓半島と日本列島の考古学、2007

F-cup;おなじみ○んご三兄弟ならぬ”スリーハンドレッド ブラザーズ”2009年10月17日 06時33分57秒

F-cup;おなじみ○んご三兄弟ならぬ”スリーハンドレッド ブラザーズ”

おなじみ○んご三兄弟ならぬ”スリーハンドレッド ブラザーズ”の長南と三男 (^_^)

相変わらず飛ばしていたようで・・・

しっかりと4位に入ってました

今回は”接待ゴルフ場のロビーの雰囲気”に流石の監督もびびってしまい”馬券受付”を作ることが出来ませんでした

ということで二人とも”欲求不満”の図です(^_^)


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