第177弾 のむけはえぐすり 継体天皇の妃の手白香皇女衾田陵(西殿塚古墳) 補足2011年05月30日 21時32分06秒



第177弾の本文中の「墳丘の形も、後期古墳にしては前方部よりも後円部が高く、子
の欽明の見瀬丸山古墳と同じである。」の中の“後方部”を“前方部”に訂正いたし
ます。
 
この文はいくつかの説明が必要です。
 
1)写真は宮内庁陵墓指定地、手白香皇女衾田陵の前にあった案内板です。
案内板に右の方に航空写真がありますが、この西殿塚古墳の前方後円部のくびれが深
いのに気がついて下さい。前方部が後円部よりも小さく、バチ状に広がっているよう
な前方後円墳は時代的には古く前期古墳に属します。ついでにいうと、前方部は後円
部よりも低いのです。卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳に近い形をしています。
 
2)これが中期、後期になると前方部の方が発達して、大きく高くなって“ずんぐり
むっくり”な形になります。
 
3)欽明天皇の陵墓は飛鳥にありますが、実は近くにある6世紀では最大の見瀬丸山
古墳が真の欽明陵だろいうといわれています。陵墓指定地にはなっていないこの前方
後円墳が後期古墳のくせに、前方部が後円部よりも低くなっています。この形が西山
塚古墳と同じだから、母と子の陵墓が同じプランで作られたと考えられ、西山塚古墳
の方が真の手白香皇女の墓だろうといっているわけです。
 



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