のむけはえぐすり;百済寺のびっくり ― 2010年02月12日 21時30分43秒
百済寺のびっくり 1)
穴太積みの石段と坊舎の跡
本堂に向かう石段の左右の所々に、五十坪ほどの平坦な空き地がある。楓の森が日差
しを遮り、灌木もなく、枯れ葉に覆われている。その空き地の一つ一つが、かつて坊
舎のあった跡だという。
しを遮り、灌木もなく、枯れ葉に覆われている。その空き地の一つ一つが、かつて坊
舎のあった跡だという。
百済寺のびっくり 2)
大草鞋と仁王像
大草鞋と仁王像
正面に4mほどの大きな草鞋(わらじ)が、左右に吊り下げられている。お賽銭のつ
もりなのか、藁の間に一円玉がたくさん挟んである。口と目に赤い塗料が残り、灰色
の木肌をさらしている阿吽の仁王像は、門を通る者をにらむように対面して置かれて
いる。
もりなのか、藁の間に一円玉がたくさん挟んである。口と目に赤い塗料が残り、灰色
の木肌をさらしている阿吽の仁王像は、門を通る者をにらむように対面して置かれて
いる。
百済寺のびっくり 3)
本堂
本堂
本堂には毘沙門天と不動明王に守られた金色の仏像がある。その奥の仏壇の中に、高
さ2.6mの木造十一面観音菩薩の立像が納められている。根がついたまま聖徳太子自
らが彫刻したので、植木観音という名前で呼ばれている。
さ2.6mの木造十一面観音菩薩の立像が納められている。根がついたまま聖徳太子自
らが彫刻したので、植木観音という名前で呼ばれている。
百済寺のびっくり 4)
千年菩提樹
石段を右に曲がると、千年菩提樹がある。菩提樹の真ん中は80cmほどの空洞になって
いて、その周囲から10本ほどの木が放射状に伸びている。天正元年(1573)4月7日
の信長による百済寺焼き討ちによって、幹は焼けてしまい、残った根から今のような
姿に蘇ったというのだ。
いて、その周囲から10本ほどの木が放射状に伸びている。天正元年(1573)4月7日
の信長による百済寺焼き討ちによって、幹は焼けてしまい、残った根から今のような
姿に蘇ったというのだ。
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