噂先行・・・結果は3位2006年12月03日 06時15分14秒


噂が先行した初参加でありますが惜しくも3位

ただショットは噂通りという話です。

次回以降要マーク

万馬券の素2006年12月03日 06時17分25秒


今回「大本命」として馬券とみなさんの期待を一身に受けました。

残念ながらちょっと崩れまして・・・「MM賞(万馬券メーカー賞)(笑)」になってしまいました。

米原はレディースがそんなに前じゃないからなかなか大変だったみたいですね。前回まではドラコンも女性陣が独占だったんですがやっと普通になってきました。

のむけはえぐすり 第38弾 原善三郎の話 その18 旧正金銀行(1) (現神奈川県立博物館)2006年12月03日 08時15分56秒


のむけはえぐすり 第38弾
原善三郎の話  その18 旧正金銀行(1) (現神奈川県立博物館)

 馬車道も、本町通の交差点の近くに、四角い石柱が外壁を覆う神奈川県立博物館がある。桜木町側の正門は博物館然としているが、馬車道側の玄関は旧横浜正金銀行の威風堂々としたたたずまいを残している。写真のように、三階建ての建物の頂には緑青色のドームがある。他の銀行に比べて、格の違いが歴然としている。

 格式が高いのは、政府系金融機関だったからだ。戦前の特別な法律に基づいて設立された特殊銀行のひとつで、特殊銀行にはその他、重化学産業振興のための日本興業銀行、農工業振興のための日本勧業銀行、北海道開拓のための北海道拓殖銀行、植民地におかれた朝鮮銀行、朝鮮殖産銀行、台湾銀行、全国の府県ごとに置かれた農工銀行があった。
 
 正金銀行が何のために作られたかというと、話は不平等条約から始まる。
 
 安政5年(1858)、幕府がアメリカと結んだ修交通商条約をかわきりに、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと同じような条約を結んだ。安政の五カ国条約である。交渉したハリスさんからして、アジア地域で冒険的な商人として活躍していた海千山千だった。世間を知らない箱入り娘が、いきなりかどわかされたようなものだった。

 アヘンでボロボロにされた隣娘の話も伝え聞いた。あんな風になっても良いのかと、ハリスさんに脅され空(す)かされて結んだ条約には、第四条に関税自主権がないこと、第六条に治外法権が定められ、後々大変な禍根になった。だが、第五条の「両国通貨の同種同量の交換通用・・・」には、もっと参った。
 
 第五条では洋銀と天保一分銀を同じ重さで交換しましょうと御為(おため)ごかしに誘うが、実際に含まれる銀の量が違っていた。それでも、この程度の不等価交換ぐらいですめば、箱入り娘も箱から出ないですんだ。

 問題は、当時日本の国内では金と銀が同時に流通していて、銀が補助貨幣として使われていたことだった。国内での金銀比価は1対4.63で、当時の国際的な比価の1対15と著しくかけ離れていたことに、つけこまれた。
 片っ端から、粗末な洋銀を運んできては、日本の銀に換え、さらに金の小判に換える。これだけで、一回につき231%のぼろい儲けになる。アッという間に、40万両から50万両の金が持ち出されてしまった。
 
 娘の方だって、なり振り構っていられない。銀の品位を下げ、金の品位を三分の一にして、必死に抵抗した。どうにか金銀の国際比価と同じになって、金の流出が止まったのが、万延元年(1860)のことだった。

 娘がホッとしたのもつかの間、身内の西郷おじさまと喧嘩になって軍事費が必要になった。そして、これから世間に出るのに、もっと身なりを整えなくてはと殖産費が必要になった。それには先立つものが必要だというので、紙に「お金」と書いて発行することにした。これがまたこの娘を危険に曝すことになった。外国商人達は娘の財産を狙って、手をかえ品をかえ言い寄ってくる。

 世間に放り出された娘が外国商人の誘いをすり抜け、坂の上の雲を目指して歩いていく。「正金」さんが現れて、娘を助けてくれるようになるまで、娘の苦労話が次回も続く。

 参考文献
1)土方晉:横浜正金銀行(戦前円の対外価値変動史)、東洋経済印刷、東京、1999
2)「図説・横浜の歴史」編集委員会:図説・横浜の歴史、横浜市市民局市民情報室広報センター、横浜、1989