「金麦」飲みながら「キングス・シンガーズ」でビートルズを聞いてます ― 2012年08月16日 16時34分22秒
第183弾 のむけはえぐすり 近江の帰化人 京阪線沿線 坂本 日吉大社 ― 2012年08月18日 01時55分01秒
第183弾 のむけはえぐすり
近江の帰化人 京阪線沿線 坂本 日吉大社
まずは、日吉大社の日吉を“ヒエ”と読むか、“ヒヨシ”と読むかという話から。
もともとは日枝、比叡と書いてヒエと読んでいたが、 平安時代に縁起のよい“吉”の字を当て、ヒヨシとも読むようになった。明治以降は格式を重んじてヒエを用いていたが、官幣大社がなくなった戦後は親しみやすいヒヨシの日吉大社が公称となった。全国3800の日吉神社または日枝神社の本社である。
近江一の宮、日吉大社へと向かうには、緑の桜並木の参道を、なだらかに上っていく。「山王総本宮 日吉大社」の碑の横を過ぎ、写真のように笠木の上に合掌状の杈首(えだくび)がついた山王鳥居(合掌鳥居)の下をくぐり、神の猿と書いてマサル(神猿)とよぶ本物のお猿さんがいる前を通り、西本宮へと導かれる。東本宮は途中の右手の薄暗い参道の先にある。東本宮は二宮ともよばれたり、西本宮の大比叡に対して小比叡と呼ばれたりして、西本宮よりも低く扱われているようだ。
にもかかわらず、今回の写真は東本宮の方をあげた。それは、神奈備である牛尾山(標高378m)の頂上にある奥宮に対する里宮としての起源が、東本宮の方にあるからだ。創建は日吉大社の口伝抄に垂仁天皇の時と記されているが、かなり古いのは確かなようだ。これに対して、西本宮の方は天智天皇が近江大津宮に遷都(667年)した翌年に、大和の三輪山に祀られていた大己貴神(おほむなち・素戔嗚尊の息子)を勧進して建てられたもので、時代的には新しい。
同じ敷地にあっても、天皇が創建した西本宮の方が、先祖発祥の地に祀られた産土神(うぶすなかみ)の東本宮よりも格式も高かったのだろう。平安時代の延暦25年(808)、伝教大師・最澄が牛尾山の奥の比叡山に延暦寺を創立した時に、日吉大社を鎮守と定め、しかも大己貴神を祀る西本宮を第一位、大山咋神を祀る東本宮を第二位としたことで、両社の差は明らかになった。その後も何度か神階を賜る度に、例えば859年には西本宮が正二位、東本宮が従五位といったように、差は開く一方だった。
西本宮の参拝を終え、牛尾山の山麓を南から西へと緩やかに下りながら東本宮へと向かう。途中、竈殿社、宇佐宮、白山社などの摂社や末社を参拝しながら、山王祭にくり出す7基の御輿の収蔵庫の前を通り過ぎ、程なく天正年間に建てられたという東本宮の楼門の前に出る。
上の写真は、楼門を入ったところから見た東本宮である。
写真の奥に見える建物が東本宮の拝殿で、その向こうに東本宮の本殿がある。左の建物は日吉大社の摂社・樹下(このした)神社の本殿で、右が樹下神社の拝殿である。古地図でみると、初期の本殿は樹下神社の場所にあって、湖岸の比叡辻から真っ直ぐに参道が延びていた。その頃の樹下神社には大山咋神と妻の鴨玉依媛が一緒に祀られていた。後に東本宮が建てられた時に、東本宮に大山咋神、樹下神社に鴨玉依媛と分けて祀られ、東本宮に向かうには、樹下神社の本殿と拝殿の間を通って行かなければならない不思議な構図になったというのだ。
樹下神社の本殿と拝殿の間を失敬して、東本宮の本殿へと向かう。本殿の左手に亀井霊水と記された井戸がある。仏様に捧げる水を汲む閼迦井(あかい)であった。その横に、牛尾山から引かれた清水が音を立てて落ち、水飲み場になっている。その傍らに7、8cmのハート型の葉が、地面にへばりつくように並んでいる。葵だという。葵が二つ並ぶ姿は夫婦円満の象徴だとされ、双葉葵は日吉大社東本宮の神紋になっている。双葉葵は下鴨神社と上賀茂神社の葵祭の紋でもあり、松尾神社の神幸祭の紋でもある。
本殿の背後の山から牛尾山一帯には長さが5mから12mの横穴式古墳が68基あり、日吉大社境内古墳群となっている。6世紀後半から7世紀前半に営まれた古墳だという。古墳として一番知りたいのは、この古墳群の古墳は天井に行くほどドーム状に狭くなる持ち送りのある横穴式なのか、あるいはミニチュアの炊飯器の模型土器が副葬されていたのか、そういった朝鮮半島の高句麗や百済に起源を持つ古墳の特徴があったのかどうかだが、古墳の写真を見たり文献を調べてみたりしたが分からなかった。百済系の帰化人である三津氏がこの地に住んでいたというから、三津氏の営んだ古墳である可能性はあるだろうが、そう簡単に言い切れるものでもないらしい。
東本宮はその古墳を破壊して建てられているので、東本宮が建てられたのは古墳に対する畏敬がなくなってからだ。だが、牛尾山の山頂にある巨岩を古代の祭祀場である磐座(いわくら)とし、その神奈備から湧き出る泉を霊泉として祀る信仰そのものは、かなり古くからあったと考えられる。
今回、東本宮の祭神は秦氏の松尾神社と同じ大山咋神と鴨玉依里姫であり、神紋も同じであることが分かった。百済系の三津氏と新羅系の秦氏と、歴史の中でどう交錯するのか、それは分からない。その謎は樹下神社と東本宮の祭祀方向の交差に隠されているようにも思える。
いずれにしても、日吉大社の東本宮辺りに行ってみて、古代の帰化人の足跡が少し見えたような気がした。
参考文献
1)大津市役所:新修 大津市史Ⅰ 古代、1978
2)谷川健一編、日本の神々 5 山城近江、木村至宏:日吉大社、白水社、東京、2009
3)川口謙二編:日本の神々事典、柏書房、東京、2007















最近のコメント