のむけはえぐすり 第33弾 原善三郎の話 その15 国立第一銀行横浜支店2006年11月03日 08時15分52秒


のむけはえぐすり 第33弾
原善三郎の話  その15 国立第一銀行横浜支店

 馬車道や本町通には、明治の終わりから昭和の初期にかけて作られ、当時のままの姿を残した銀行の建物が多い。
 
 現存する旧銀行の建物の多くは、横浜の歴史的建造物に指定されている。そのいくつかは、近代的なビルが覆い被さるように増築され、古い外観が申し訳のように残されている。
 
これからしばらく、善三郎の国立第二銀行と共存していた馬車道と本町の旧銀行の建物を、銀行の統廃合の歴史を重ね合わせて、散策してみようと思う。
 
桜木町駅から、本町通の弁天橋を渡る。最初に見える旧銀行の建物は、横浜アイランドタワーを背負った旧国立第一銀行横浜支店である。

ところがこの銀行は、本町5丁目46から移転したとある。その元の場所が分からない。

慶応の大火の後、関内の丁目はそれまでとは逆方向に、日本大通を起点に、桜木町に向かって1丁目から6丁目と付けられる。通常は丁目毎に1から繰り返される番地が、関内の場合は通し番号になっている。それが、5丁目の旧生糸検査所の辺りになると、通し番号が飛んだり跳ねたりしている。

関東大震災前の本町通の町並みをトレースした「横浜・開港の舞臺、関内街並み復元繪図」という本がある。写真は、その本から引用して編集した。震災前の馬車道と本町通の交差点を吉田橋側から見ると、左が国立第一銀行、右が三井物産である。国立第一銀行は本町5丁目72、三井物産は本町4丁目69になっている。どちらも震災で損壊した。

さらに、横浜の古い家屋を描いた「横浜絵地図」という本を見る。瓦屋根の二階建て、三井物産の鳥瞰図がある。その木造家屋は震災の少し前に火事で消失した。そこには本町4丁目角と書かれている。北仲通はかつて本町の番地だったことが分かる。

昭和37年の「中区明細地図」を見る。今の本町通から「みなとみらい」につながる広い道は、旧海上保安庁に突き当たる北仲通5丁目の狭い袋小路だった。その本町5丁目と北仲通5丁目の三叉路の三角地が、本町5丁目46で、先端の三角部分が第一銀行横浜支店、底辺の台形部分が横浜銀行本店になっている。

国立第一銀行は、震災後の復興で昭和4年(1929)に建てられた。その建物のバルコニーは、現在はアイランドタワーの先端部分として残っている。近くで見ると、バルコニー部分と後ろの三角形部分は微妙に色が違う。建物の外壁に掲示された案内には、バルコニー部分は曳家によって移転され、残りは新築復元だとある。

これで分かった。国立第一銀行は、今の馬車道駅の上、本町通にあった。平成7年頃の「みなとみらい」に向かう幹線道路として北仲通が拡幅される際に、三角定規を平行移動するように、引っ越しをさせられたというわけだ。

第一銀行は勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となって本町に移った。昭和47年からは日本不動産銀行が入ったが、それも日本債権信用銀行を経て、今は「あおぞら」銀行となって本町通に移った。昭和55年(1980)からは横浜銀行本店別館となっていたが、移転によって銀行としての役目を終えた。

「あおぞら」の向こうで探していた青い鳥は、実は身近にいた。ヘンゼルじいさんとグレーテルばあさんが、若い頃に話していたとおりだった。

 参考文献
1)日比野重郎:横浜近代史辞典。湘南堂書店、1918
2)関内街並復元絵図刊行会:横濱・開港の舞臺 関内街並復元繪図、1997
3)岩壁義光:横浜絵地図、有隣堂、1988

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