三井寺のびっくり ― 2010年08月01日 22時11分05秒
三井寺の閼迦井屋
閼迦井(あかい)とは仏様に供える水を汲む井戸のことで、その井戸の覆屋(おおいや)として、1600年北の政所によって建てられた。向唐破風造(むかいからはふうつくり)の檜皮葺の屋根の美しい室町時代の建築です。
三井寺の食堂(じきどう)
釈迦堂とも呼ばれる、室町時代の建物だが、最近檜皮が葺き替えられたらしく、赤銅色に輝く美しい屋根が印象に残った。檜皮葺の美しさを初めて実感した。
三井寺の大門(仁王門)
室町時代に甲賀の常楽寺に建てられ、伏見城へ移転され、最後に徳川家康によってこの地に建てられた。楼門として代表的な建築である。右の方に園城寺(おんじょうじ)の石碑が見える。
三井寺の案内
今こうやってみると、随分、見逃したところがあるなという印象。
9世紀に衰退していた三井寺を再興したのが円珍で、初代の園城寺の管長(三井寺の場合は長吏:ちょうり)となる。第5代天台座主(ざす)となった円珍の死後、円仁派と円珍派に分かれて対立し、円珍派は園城寺に入った。以後、延暦寺の山門派と園城寺の寺門派に分かれて戦いが続いた。
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