のむけはえぐすり 第111弾 原善三郎の話 その89 神戸取材旅行 生田神社2008年12月02日 21時51分54秒

のむけはえぐすり  第111弾  原善三郎の話  その89 神戸取材旅行  生田神社

のむけはえぐすり  第111弾

原善三郎の話  その89 神戸取材旅行  生田神社

 

「原善三郎の話」とは関係ないが、取材旅行のついでに、神戸の生田神社を訪ねた。

 

写真のように生田神社の拝殿は、朱塗りの柱が並び、屋根の形が入母屋造りの社である。奧のこんもりとした森が「生田の森」で、古くから和歌にも詠まれ、源平合戦の折りには平氏の一ノ谷の東門が置かれた場所だ。それが由来なのか、生田神社の東側には神戸一の歓楽街、東門街がある。

 

祭神はローカルな稚日女尊(ワカヒルメノミコト)。この若い女性の神様、あの神功皇后(ジングウコウゴウ)を相手になかなかな所を見せている。

 

西暦201年ということになっている。  

三韓遠征から帰る途中、神功皇后の船が神戸の沖合で止まって動かない。いぶかる神功皇后がたずねると、この神様が出てきて、「私はここに住みたいのだから、ここに祭りなさい」と言いたい放題で、ここに祭られた。その時、同じようにして造られた神社が、大阪の住吉神社、神戸の長田神社、西宮の広田神社だという。中では、住吉神社は古代大和朝廷の外交と外征の守り神となった。

 

神功皇后の三韓遠征の話は記紀に書かれた伝説で、古代の天皇と朝鮮半島との関係を匂わせる話である。    

神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で、日本式には息長帯比売(オキナガタラシヒメ)といい、もともとは巫女のような存在であった。巫女なのに夫がいるのも変な話だが、夫である仲哀天皇はあの倭建命(ヤマトタケルミコト)の皇子である。倭建命は、九州の熊襲(クマソ)征伐では女装して熊襲の酋長をやっつけた伝説のある英雄だ。

 

再び反乱を起こした熊襲を征伐するために、福岡の香椎宮(カシイノミヤ)に来ていた仲哀天皇が神功皇后に占ってもらうと、神懸かりした神功皇后が「西の方の国が豊かだから、そちらを帰服させよ」と告げた。その託宣を信じなかった仲哀天皇は、突然死してしまう。不思議なことは続くもので、その時神功皇后は身ごもっていたというのだ。

 

仲哀天皇に代わって全軍の指揮をすることになった神功皇后は、西の国、すなわち朝鮮半島へと向かった。その遠征を助けたのが、住吉大社の神様たちである。神功皇后の軍隊が海に出ると、魚の群が船を背負い、猛烈な勢いで日本海を渡り、そのまま大浪となって新羅に押し寄せ、アッと言う間に新羅を征服した。次いで百済、高句麗も従えた。それ以後、新羅は馬を献上する国となり、百済は日本の直轄地になったという。

 

遠征の途中で産気づいた神功皇后は、お腹に石(鎮懐石)を抱いて予定日を延ばし、日本に戻ってから福岡県の宇美(ウミ)で子供を産んだ。この子が邑陀和気命(ホンダワケノミコト)で、第15代応神天皇となった。

 

大分県の宇佐に宇佐八幡宮がある。そこには古くから八幡様を信仰する宗教があった。8世紀に宇佐八幡宮を有名にした事件があり、それ以降、全国に4万ある八幡神社の総社となった。その頃から、八幡様と応神天皇は同一視されるようになり、今では八幡様と言えば応神天皇ということになっている。源八幡太郎義家の頃から、八幡様は戦の神として源氏の守り神となった。

 

三韓遠征の話を聞くと、応神天皇は本当に仲哀天皇の子なのかという疑問が湧く。もしかしたら、朝鮮半島から来た誰かのことを、神話的に物語っているのではないか? 神功皇后の出自である息長氏からして、女性を追って日本にやってきた新羅の皇子・天日槍(アメノヒボコ)の子孫と言い伝えられている。勿論、この時代の朝鮮半島は高句麗、百済、新羅が鼎立していた三国時代で、日本から軍隊が来たなどという話はどこにもない。

 

応神天皇の治世は皇子の第16代仁徳天皇へと続いていく。ただ、それまで第10代崇神天皇から続く天皇の陵墓は三輪山の近くにあり、第15代応神天皇から以降の天皇の陵墓はしばらく河内地方に造られている。そのことから、崇神天皇系の三輪王朝から、応神天皇系の河内王朝へと王統が交替したと唱える人もいる。神功皇后の三韓遠征の伝説は、王統が交替したことの辻褄合わせのようにも思える。    

戦前の皇国史観では万世一系のはずの天皇家だが、古代の系譜の中に何カ所か、王統が交替したことを暗示する箇所がある。どう考えても不自然な皇位継承の物語が語られるたびに、天皇家と朝鮮半島との関係が色濃く匂う。

 

朝鮮半島と大和を結ぶ瀬戸内海航路の要衝にある神戸の生田神社は、古代へのロマンを誘う神社だった。     参考文献

1)特集:古事記、日本書紀と古代天皇家、歴史読本、49(1)、人物往来社、2004 2)特集:古代王権と神社の謎、歴史読本、46(10)、人物往来社、2001 3)「古事記」「日本書紀」、歴史読本、44(4)、人物往来社、1999

のむけはえぐすり 第112弾 閑話休題 族譜2008年12月06日 05時17分20秒

金海金氏の祖、首露王(スロワン)が眠る良洞里(ヨントニ)古墳群の拝殿にあった金海金氏の族譜が納められている棚

のむけはえぐすり 第112弾

閑話休題  族譜

 

韓国人がお互いに名前を名乗り挨拶する時に、例えば「金**です」というと、「どちらの金さんですか?」とたずねているのをよく耳にする。相手の方が「金海金(キメキン)です」と答えると、「何派ですか?」と重ねて聞く人もいる。

 

日本人にはこれがよく分からない。金という姓が多いから、遠山の金さんとか、親戚のkinさんとか、分かり易くしているのかと思っていたら、話は何十代も祖先にさかのぼって、一族のプライドを賭けた話だった。

 

韓国には、姓の数が少ない。今も外国人の帰化によって若干増えることもあるが、2000年の国勢調査では285とされている。周りを見ると、金とか李とかがやたら多いように思えるが、事実、金は878万人で韓国の人口の22%、李は598万人で15%、朴は343万人で9%を占めている。この金・李・朴が韓国の姓に多いベスト3で、以下崔(チェ)、鄭(チョン)、姜(カン)、趙(チョ)、尹(ユン)と続き、上位10の姓だけで全人口の64%を占める。

 

これでは確かに、どちらの金さんか、よく分からない。だからといって、韓国人が「どちらの金さんですか?」と聞いているのは、今住んでいる所ではなくて、その姓の始祖の出身地、すなわち本貫を聞いているのであって、韓国では日常的な会話になっている。

 

釜山の国際空港がある金海(キメ)を本貫とする金さんであれば、金海金(キメキン)。密陽の朴さんならば密陽朴(ミリャンパク)、全州の李さんならば全州李(チョンジュイ)といった様に、本貫に姓をつけて呼んでいる。今挙げた三つの姓が実は韓国内のベスト3で、それぞれ412万人で人口の9%、303万人で7%、261万人で6%、その後に慶州金、慶州李、慶州崔、晋州姜、光山金と続く。

 

今、慶州を本貫にした姓が金・李・崔と三つも出てきたが、本貫と姓の組み合わせが3435ある中で、新羅の都、慶州が本貫となっている姓が一番多く、87ある。他に本貫として挙げられることが多い地名は、晋州80、全州75、密陽67、清州66で、その後は海州、忠州、羅州となっている。

 

本貫と姓を名乗って、「何派ですか?」と聞くのは、例えば金海金だと、監務公派、文慇公派、府使公派など11の派があり、それを聞いているわけだ。韓国では、ほとんどの姓に先祖代々の家系を綴った族譜と呼ばれる家系記録がある。大きな姓では、族譜が膨大になると、より狭い範囲で派譜や支譜が編纂され、枝分かれして派が作られていった。

 

写真は、金海金氏の祖、首露王(スロワン)が眠る良洞里(ヨントニ)古墳群の拝殿にあった金海金氏の族譜が納められている棚である。ずっしりとした金文字の背表紙の本が、数十冊整然と並んでいた。部屋の外から見学したので、金海金氏の11の派が、どのように綴られているのかは分からない。

 

族譜の始まりは15世紀初頭の水原白氏のものだとされるが、現存する族譜の中で最も古いものは、1476年に編纂された「安東権氏世譜」(アンドンコン氏の成化譜)である。世譜というのも族譜と同じ意味だが、韓国国立中央図書館に保管されている族譜の中では、「世譜」という名称の方が「族譜」より倍近く多い。それでも、現代では族譜の方がよく使われている。これまでに455の同姓同本集団の族譜が編纂され、多くは17、18世紀に作り始められ、父系の集まりである門中によって世代毎に編纂が繰り返され、数は近年になるほど多くなっている。

 

族譜の作り方にも、時代によって変化があった。

 

15世紀頃に作られた初期の族譜には女系の外孫の系譜も収録されていたが、17世紀以後になると外孫の記載が少なくなっている。この変化は、父系重視の考え方が普及してきたからだと言われていたが、単に書ききれなくなったからだという現実的な問題があると同時に、族譜の編纂が一般化し、女系は嫁ぎ先で記載されるので省くようになったとする見方もある。

 

現に、「安東權氏樞密公派大譜」(1983年刊)をみると、女性の名前はない。娘であれば「女」とのみ書かれ、「女」の後ろに婿の名前が書かれている。嫁に至っては、「女」の文字もなく、嫁の父親の名前が書かれている。女性は名無しで充分というわけだが、族譜が作られた意味が、一族の由緒を誇示し、官僚たちの横のつながりを確認するための名族譜だったのだから、当然と考えていたのだろう。

 

族譜をみると、一族の中の同世代の男子の名前には、一律に同じ漢字が使われている。一族の中の世代的序列が分かるようにするため、数年ごとに一族の学識者が決定しているという。行列(この場合はハンニョル)と言い、一般的には回り字(トルリムチャ)と言われているが、これも韓国では一般的だ。そのことが、韓国人の名前が同じようになっているもうひとつの理由だ。姓が同じで、名も同じようなら、どうしたって「どちらの金さんですか」と聞きたくなる。    

ただ、若い人が初対面の相手に「どちらの金さんですか?」と聞くのは、「同姓同士の結婚が許されないのなら、先に聞いておかなくチャ」という現実的な理由もある。    

参考文献  

1)宮嶌博史:東洋文化研究所所蔵の朝鮮半島族譜資料について、東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター報 『明日の東洋学』 第7号、2002 2)金容権:族譜:韓国史を歩く、歴史読本、新人物往来社、1988

久しぶりのフライペン;美味しい料理 これ名前なんでしたっけ?2008年12月06日 22時44分42秒

久しぶりのフライペン;美味しい料理 これ名前なんでしたっけ?

先月の編集会議で食べた久しぶりの味

>監督

これ何という名前でしたっけ?内蔵なんだけど (食べたときは名前を思い出したんですが・・・こういうボケが増えてきました。やばいなぁ。。。)

よっちゃんのグルメ日誌:やっぱり店長自慢のトンソク2008年12月07日 21時06分39秒

よっちゃんのグルメ日誌:やっぱり店長自慢のトンソク

店長自慢のトンソクです

コラーゲンたっぷりでお肌も若返りそう(^_^)

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ところで編集長ですが土曜日はつくばのテニス団体戦でした

シングルスx2,ダブルスx3で争うのですが3勝2敗で某製薬会社を破り、2月の本戦に3年ぶりくらいでインしました

今日もちょっと気温は低いけど穏やかな晴れの中しっかりと練習してきました

気分は最高!

恒例のフライペンX'masパーティは12/27(土)です2008年12月08日 21時19分25秒

フライペン自慢のさざえ

さて恒例のフライペンX'masパーティは12/27(土)です

今回はプロのバンドも入りますので期待しましょう

@10,000円ぽっきりです

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写真は自慢のさざえです

よっちゃんのグルメ日誌:魚のジョンです2008年12月09日 21時35分58秒

よっちゃんのグルメ日誌:魚のジョンです

よっちゃんのグルメ日誌:魚のジョンです・・・ということなのですが「ジョン」とは「揚げ物」という感じなのでしょうか?

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会社が変わって一番の変化はメールです。

それまでは一年中世界中とメールをやりとりしておりましたし、社内の人間とも休日もあんまり関係なくメールで連絡を取り合っていましたので、とにかく自宅でも出先でもPCに向かったらメールチェック・・・そして返信・・・という感じでした。

だからたまに私用で友達とかにメールしても返事が返って来るのが遅かったのが不思議だったのですが、会社を辞めて仕事の絡みのメールが無くなると・・・激減です。「基本は自分が出さないと来ない」という状況がやっと理解出来るようになりました。

「始めにメールありき」的な僕にとっては「コペルニクス的展開(とは言わないか)」でした。

・・・ところで今週は嬉しいメールが何通かありましてとっても幸せな気分です。(注;ちなみにすべて女性からでした)

12月27日(土)は”フライペン 踊れる仮装忘年会”2008年12月11日 22時24分29秒

12月27日(土)は”フライペン 踊れる仮装忘年会”

12月27日(土)は年末恒例の”フライペン 踊れる仮装忘年会”

さて、今年はどんな乱痴気騒ぎ(?)になるのやら。。。

しっかりレポートしますよ

のむけはえぐすり 第113弾 閑話休題 本貫2008年12月12日 22時35分24秒

のむけはえぐすり;忠州の高句麗碑

のむけはえぐすり  第113弾

閑話休題  本貫

 

韓国人は自分の一族の始祖やその子孫の出身地である本貫を、姓につなげて名乗ることがある。

 

そのことで、自らの先祖がどんなに古い時代から始まり、どれほど位が高かったかを、さりげなく誇示するわけだ。

 

時代としては、紀元前後の三国時代あたりがちょうど良い。伝説と史実の区別がつきにくく、まことしやかだ。だからといって、高句麗では、始祖の朱蒙(チュモン)が中国東北部の東扶余の出自だし、百済の始祖も朱蒙の息子の温祚(オンジュ)だから、大陸系を自慢するわけにもいかない。事実、高句麗系では晋州姜氏があるくらいで、百済系も少ない。

 

その場合、朝鮮半島南部の馬韓、弁韓、辰韓あたりの王族ならば最高だ。それも、始祖が神様の子と言うことになれば、さらに箔がつく。神様の子とするには、韓国では金の卵から産まれたことにするのが常識だ。    

新羅の金の卵は朴赫居世(パクヒョッコセ)、昔脱解(ソクダルヘ)、金閼智(キムアルチ)と続き、新羅の王族系の本貫の始祖となった。新羅は建国後、南部の金の卵の首露王の金官伽倻国を初めとする六伽倻諸国の王族を従えた。伽倻王族系である。  

新羅の建国神話に現れる辰韓の六つの村は新羅六部と呼ばれ、それぞれ新羅の高官の姓が与えられた。新羅の豪族系である。  

百済、高句麗を滅ぼし、唐を追い出し、676年に全国統一を果たした統一新羅は、全国を九つの州に分け、都督を派遣した。かつての敵地には小京と呼ばれる五つの副都を設け、貴族や住民を移住させた。新羅の貴族系である。  

新羅以外では、時代は降って高麗の功臣系と、中国からの渡来系が若干ある。

 

私は韓国の田舎を好んで旅したが、その中にいくつか、本貫の地があった。

 

本貫として挙げられることが最も多い慶州は、新羅1000年の都である。市内には「大陵苑(テヌンウォン)」と呼ばれる古墳公園があり、盆地を囲む山麓には、三国統一を果たした武烈王陵、初代から第5代王までの五陵、百済を滅ぼした金庾信(キムユシン)将軍の陵墓など、新羅王族の古墳が多い。南山にある遺跡や仏国寺、石窟庵などの仏教遺跡もある。3回も訪れた。

 

2番目に多い晋州は、釜山と光州の中間に位置し、伽倻地方の金の卵、咸安、昌寧、金海、高霊、星州とあわせた六伽倻の古都で、統一新羅時代は九つの州のひとつである。1925年に釜山に道庁が移るまで、慶州南道の道庁があった。なだらかな山に囲まれた静かな町で、高麗の高宗時代に建てられた晋陽城の楼閣、矗石楼(チョクソンヌ)があり、秀吉が攻めてきた壬辰の乱(日本の文禄・慶長の役のこと)では、落城悲話が語り継がれている。

 

3番目に多い全州は、百済の都が置かれたこともあり、統一新羅の九つの州のひとつで、今の全羅北道地域の中心地である。李王朝を開いた全州李氏の本貫だが、その始祖は新羅の高官・李翰だという。全州の市内には、朝鮮瓦葺きの家が建ち並ぶ韓式家屋の保存地区・韓屋村(ハノックマウル)があり、高麗末期に建てられた全州城の豊南門や、李王朝の始祖・李成桂を始め代々の皇帝の肖像画が納められている慶基殿がある。慶基殿の境内では、おじさんたちが焼酎を飲みながら、哀愁のある調子でパンソリの掛け合いをしていた。歩きを止めて、酔っぱらいの歌に聴き入った。

 

4番目は密陽。密陽朴氏は新羅の景明王の長男・朴彦沈がルーツだが、当然、新羅初代王・朴赫居世を始祖としている。釜山北部の盆地で、密陽河が大きく迂回する中州に町があり、川岸の崖の上には朝鮮の三大楼閣のひとつ、嶺南楼(ヨンナムル)がある。秀吉の軍に最後まで抵抗したという山奥の表忠寺に行くのに、金海に洪水があった年で、川が溢れて見えなくなった隠れ橋の上を、タクシーが勘で渡るので、とても怖い思いをした。

 

5番目は清州で、統一新羅の五小京のひとつ、西原小京があった。私が初めて案内なしで、二泊三日を過ごした内陸の町だ。近くには俗離山(ソニサン)国立公園がある。公園内には三国時代の新羅によって553年に建てられた法住寺があり、境内に巨大な弥勒菩薩の立像がある。車で20分ほどの所に、新羅の金庾信将軍の父親が7年かけて造った上党山城がある。山の尾根伝いに城壁が囲む典型的な朝鮮式山城で、一周する元気はなく、正門まで行って戻ってきた。

 

6番目は海州。高麗時代に発展した黄海に面した町だが、現代は全州金氏の金王朝が支配する“北”の地域にある。“あの人”がいる限り、行くことはないと思う。

 

7番目は忠州で、統一新羅の五小京のひとつ、国原小京があった。安東から月岳山国立公園、さらに水安堡温泉を越えて、バスで向かった。写真のように、高句麗が5世紀に南漢江沿いを占領した時に建てられた高句麗碑がある。近くには、統一新羅時代に建てられた七層からなる中央塔がある。朝鮮半島のほぼ中央に位置しているという。

 

8番目の羅州と9番目の光州は、統一新羅の九つの州のひとつ、武州だった。全羅南道地域の中心である。統一新羅の真聖女王時代に僧侶が一昼夜で千仏千塔を建てたという伝説がある運舟寺(ウンジュサ)など、この時代に建立された寺院が多い。以前「のむけはえぐすり」の「光州の旅」シリーズで詳しく述べた。

 

10番目は南原(ナモン)だが、この町には行っていない。官吏の息子・李夢龍と妓生(キーセン)の娘・成春香の恋の物語、有名な「春香伝」の故郷だが、ここも統一新羅の五小京のひとつ、南原小京があったところだ。

 

結局、本貫として挙げられることが多い町は、韓国の田舎にあり、統一新羅の歴史を色濃く残す町だった。私はその歴史に吸い寄せられるように、韓国の田舎を旅していたことになる。

X'masイルミネーション2008年12月13日 22時51分03秒

X'masイルミネーション

ブログのデザインをクリスマス仕様に変えました

米国でのこの時期は本当に綺麗なんですよね

周りの家がみんな凝った飾り付けをして(1日がかりで屋根まで電飾を貼り付ける)いるので、夜になると自宅に帰る道中が次から次からの電飾に飾られているんです。アニメの世界に入り込んだような感じです。

NY近辺は10月の紅葉から始まって年内が良いですね

ところでフライペンの飾り付けはどうなっているんでしょうか>よっちゃん レポートお待ちします

写真は昨年の日比谷での東京ファンタジアに行ったときの有楽町駅から東京国際フォーラムに向かうところのイルミネーションです(東京ファンタジアって昨年ぽっきりだったんですね)

シドニー セントメアリーズ大聖堂内部2008年12月14日 09時56分09秒

シドニー セントメアリーズ大聖堂内部

セントメアリーズ大聖堂内部です

ステンドグラスが綺麗

ここはオーストラリアのローマカトリック教会の総本山でもあるのですが・・・実は結婚式でも有名

トム・クルーズとニコール・キッドマンが挙式を挙げた場所としても知られています。日本では郷ひろみも挙げてます。

オージーの女の子のあこがれの結婚式場なのだそうですが・・・なんと2年先まで予約一杯とか

・・・ということで最近のトピックの結婚式とクリスマス絡みでした