のむけはえぐすり 第12弾 ― 2006年05月19日 23時30分47秒
だんだんよくなる法華の太鼓ではないですが明日より公開のダビンチコード並にミステリーの世界に突入しつつあるシャム監督の「のむけはえぐすり」
表3見開きで2夜連続掲載です。
但し中身はあまり期待しないでください(笑)
だんだんと私小説の世界に足を踏み入れつつあります。
のむけはえぐすり 第12弾
第2回 韓国旅行 光州への旅 その1
私の父は東北の田舎の生まれである。庄屋ではないが、名字帯刀を許された家で、祖父の墓には自慢げに今でも「士族 何のたれ兵衛」と書かれている。
父は農家の三番目で、いずれ分家の厄介者だった。そんな父が、母方の親戚の福井県の某藩の家老の家柄で、当時医業を営む家に養子に行った。養母は同じような武家の出で、たいそう厳しい人だったと聞いた。
養子に行って間もなく、養父が朝鮮総督府の役人になり、韓国の光州に渡ることになった。父が15才の時だ。祖父は光州の市庁に医務官として勤めた。父は当時の思い出を、あまり私に語りたがらなかった。今思うと、多分、厳しい養母の思い出がそうさせなかったようだ。
それでも時折、光州市庁近くの日本人街には広い軍用道路があり、家の前には大きな木があったと話していた。毎日、軍の自動車が中学校まで送り迎えに来てくれた。福井に帰省する時にも、関釜連絡船の終着の下関では、軍の自動車が迎えに来ていたというような話をしていた。
父は韓国語が分からなかったようだ。日本人化教育のまっただ中で、韓国では日本語を使うように強制されていた時代なので、当然のことだったかも知れない。それでも、父の発音の中に、時折プとプの発音が混同していたのを、私が幼い頃、不思議に思いながら聞いていた。例えば、ブーゲンビリアの花の名を、プーゲンビリアと言っていた。
私は子供の頃に聞いた父の話を、自分が50才近くなって、時折思い出していた。まだ、今ほど韓国が好きになる前のことで、なんとなく自分もいつかは韓国に行ってみたいと思うようになっていた。
写真は、光州の田舎で見た、みそ(多分?)を作るかめが並んだ風景である。韓国の田舎独特の風景である。
おらは田舎のプレスリー ― 2006年05月19日 23時46分12秒
はい、関内のプレスリー登場です。
エリック・クラプトン、ポール・アンカ、プレスリーと横文字ばかりです。
このシャツカラーがいいですね。
マッカラン ― 2006年05月19日 23時52分01秒
お酒はよくわからんとですがこのマッカランは「おいしか」(うまか!でしょうか)
シングルモルトの代表作でしょう。
同じ醸造所のマクファイル(特に25年ものは美味しいのですが日本にはあまり入っていないみたい)もいいですが。
シングルモルトでもっと美味しいのがあると言う方は水曜日に持って来て下さい。飲み比べましょう。
New Chair ― 2006年05月19日 23時56分16秒
サン・ウォンさん
ご無沙汰しております。
日本は(関東は)今ものすごい雨と風です。West Coastが恋しいです。
ところで先日お話いたしました待望の椅子が入って来ましたよ。
色は「偉大なヒャンフィ様の好きな”緑”」です、もちろん。
ちょっと座高の高い人向きにしました。(笑)
先日掲載しましたNew Frypanの写真のちょうど反対側から撮ったものです。
右奥に写っておりますのが「フライペンのCEO」です。
なに、CEOと言っても"Chief Exective Officer"ではありませんよ、もちろん。
"Chief Entertainment Officer"です。
次回来られたら紹介しますのであんまり期待しないで来てみてください
See you later, alligator!
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