第2回韓国旅行 光州への旅 その3 ― 2006年05月26日 23時39分05秒

のむけはえぐすり 第14弾
第2回韓国旅行 光州への旅 その3
釜山の周囲にあった伽倻(カヤ)国の起源を伝える神話がある。
昔々、この地方の人々が神様に教えられ、亀旨峰(きしほう)という山に登ってみると、六つの金の卵が置かれていた。六つの卵から6人の男の子が次々と産まれ、最初に産まれた子は首露(スロ)と名付けられ、人々に王として迎えられた。駕洛の首露王(スロワン)である。金の卵から生まれたことから、姓は金とされ、金海金(キメキン)氏の祖となった。残りの5人もそれぞれ伽倻(カヤ)地方の王なった。
中国の「後漢書」には、この地方は三韓(馬韓、辰韓、弁韓)のうち、弁韓のあったところで、12の小国に分かれていたと記されている。神話だといって、あながち荒唐無稽な話ばかりとは言えないようだ。歴史の何かの真実を語っているのかもしれない。同じく「後漢書」によれば、57年に日本の奴国王が後漢に使者を送り、「漢倭奴国王」の金印を授かったとされている。福岡の志賀島で発見された金印である。
釜山の金海国際空港の近くに、良洞里(ヨントニ)古墳群がある。ここに首露王の墓とその妃の墓がある。写真は首露王の陵墓である。首露王の墓は小さな円墳で、周濠はない。その拝殿の脇にある建物の中をのぞくと、「族譜」と書かれた本棚がある。金海金氏の中でも首露王から始まる本流の系譜が、現代に至るまで延々と書かれているのだろう。のぞきたいのは山々だが、交渉する術もない。
百日紅のピンクの花に照りつける暑い夏の日差しの中、そこから少し離れた首露王妃の墓に向かう。芝生が刈りそろえられた丘の中腹に、先ほどよりはやや大き目の円墳がある。掲示板には、Ho-Hwang-okと英語で表示されている。韓国のこのような場所での掲示板には、日本語の表示はまずない。
その掲示板を読むと、首露王(42-199)の王妃で、16才の時にインドから船でKaya国(42-532)にやって来て、189年に亡くなったと書かれている。その息子の一人は、首露王の命令で許(ホ)氏を名乗ったとされ、became a forefather of Ho familyと結ばれている。へエー!奥さんはインドから来たのだ。さすがに韓国の神話はスケールが世界的だと、唇の片方をあげながら上目遣いに見ていた。
数年後のある日。私が新聞を読んでいると、福岡で1世紀頃の奴国の遺跡を発掘していたら、インドで作られたガラス玉が見つかったという見出しが目に入った。いきなり、光州への旅の途中に寄った伽倻国の古墳を思い出し、片方あげていた唇は半開きになって息をのんだ。
課外授業 ― 2006年05月26日 23時54分27秒

課外授業---素敵な響きですね。
映画がありましたね(知らないか)
ところでここんところのコメント欄で交わされているカキコにちょっと勘違いがあるようなので一言;
ブログのフォントは固定されているんです、実は。
だからこのフライペンブログで「大きい文字」で書けるのは「編集長特権」なのです。その他大勢の皆様は「控えめな小さな字しか許されていないのです」(どうだ!まいったか)
但し自分のPCのWEBの表示設定を変えると「大きい文字」になります。(あくまでも自分のPCの画面だけの話しです)
まるで「和真のメガネ」みたいなものですが。
で、左の方が先週のクイズの答えの「優勝したけど的中馬券無し」の張本人です。今度の日曜日は馬券に絡むでしょうか?
近々重大発表という噂も流れております。乞うご期待!
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