第142弾 のむけはえぐすり 古代の帰化人のふるさと 帰化人の言葉2010年01月03日 00時34分36秒



第142弾  のむけはえぐすり

古代の帰化人のふるさと 帰化人の言葉

 

大伽耶が滅びに向かう頃、倭の欽明天皇の時代には、百済からの帰化人が多かった。

 

一つの流れは、東漢直掬(やまとのあやのあたいつか)が呼び寄せたという学者や僧侶や技術民で、今来漢人(いあまきのあやひと)や百済才伎(くだらのてひと)と呼ばれ、大和武市郡に安置された人々である。もう一つの流れは、王辰爾(おうしんに)の船史(ふねのふひと)、胆津(いつ)の白猪史(しろいのふひと)、牛の津史のような、外交文書・籍帳などの作成に技術を持った人々で、河内の古市や丹比に居住した人々である。

 

そう書くと、いつも私が疑問に思うことがある。当時、朝鮮半島から渡来した帰化人たちは、何語を話していたのかということである。その解答を求めて、藤井游惟氏の「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い」という本を読んでみた。しばらくその本の紹介が続く。ただし、白村江の敗戦は663年、大伽耶が滅んでから100年後のことである。

 

万葉集の原本では、百人一首にある「春過ぎて 夏来るらし・・・」という持統天皇の和歌は「春過而 夏来良之・・・」と書かれたり、「世の中は むなしきものと・・・」という大伴旅人の和歌は「余能奈可波 牟奈之伎母乃等・・・」と書かれたりしている。前者は名詞や動詞の語幹には漢字の訓読みを、助詞や活用語尾には音読みを用いた漢字仮名交じり文といい、後者は漢字の意味を無視して一字一音が当てられており、一般に万葉仮名というが、藤井氏は借音仮名という言い方がお勧めのようだ。

 

この借音仮名は中国語の発音を日本語の音韻感覚でまねたものだが、奈良時代の漢字の発音辞典(韻書)に照らし合わせてみると、イ・エ・オの段に集中して、13音が二種類の漢字(便宜的に、甲類、乙類と呼ぶ)で書き分けられていることが、本居宣長の頃から言われていた。

 

例えば、「コ」の甲類と呼ばれるものには、出現頻度の順に、古、胡、姑、固などが使われ、現代でもほとんどがコと発音されている字だ。同じように乙類は許、巨、渠、去などで、現代ではキョと発音される字だ。甲類と乙類が逆に使われることはなく、上代特殊仮名遣いと呼ばれている。

 

この現象を説明するのに、古代には母音が八つあったとか、六つだったとか、それがいつの間にか五つになったとか、論争があった。それを藤井氏は、条件異音という考え方で説明する。例えば、アオと連続して発音する時と、イオと連続する時のオの唇の形が違っていることに注目する。そのような音声学的に異なる単音を異音といい、接続する母音や子音、アクセントなどの条件によって規則的に現れる異音を条件異音といっている。日本人同士には同じオの音にしか聴こえない条件異音を聞き分けられるのは、外国人しかいないという。

 

古代で、条件異音を聞き分け、それを漢字で表現できる外国人というのは、バイリンガルな二世ということになる。そこで、万葉集や記紀が書かれた700年前半に注目すると、そこが二世となる一世の年代は、膨大な記録を必要とした庚午年籍が書かれた670年以降という時期に相当する。その頃に急増した文字を書く人々とは百済の帰化人が考えられ、それは白村江の敗戦によってもたらされた結果だというのだ。

 

百済が滅亡し、白村江の敗戦で百済再興の夢が潰えた。その頃に帰化してきた百済人が余りにも多かったので、665年には百済の男女400余人が近江の神崎郡に、666年には2000余人が東国へ、669年には700余人が近江の蒲生郡に移住させられた。それ以外にも、記録に残らない百済人がたくさんいたと考えられる。

 

百済からの帰化人たちは身分も高く、教養もあり、文字を書く知識人であった。日本で文書や籍を作る役人として登用されたものも多く、そういう人々は史(ふひと)の姓を名乗った。新撰姓氏録には史の姓を持つ氏族が28あり、そのうちの3氏以外が帰化人の出自を持つ諸番に属している。残りの3氏も皇別とはいうが、怪しいらしい。この史の姓を持つ氏族の二世たちが記紀万葉を書いたと、藤井氏は推測している。

 

古代の朝鮮語には、高句麗語、百済語、新羅語があったはずだ。時代はさかのぼるが、魏志三韓伝には、辰韓と馬韓の言語は同じではなく、弁辰と辰韓は似ていると、書かれている。馬韓の人口は弁辰、辰韓の人口よりも多いので、古代の朝鮮語を代表するのは馬韓語であった百済語であり、馬韓語と辰韓語の違いは大きな方言という程度の差であったと考えられている。

 

ところで、私が韓国語で알았어(アラッソ・分かった)と話すと、韓国人にはアラットと聞こえるらしく、私のあだ名はアラットになっている。(オ)と(オ)の発音の区別ができていないからだ。舌を上顎に着けずに、唇を丸めないで発音してみるのだが、なかなか難しい。日本語の中でオの発音が使い分けられる条件は法則化されているが、本当に韓国人がオの発音を聞き分けているかというと、私のあだ名がその証拠だろう。

 

日本人が感じる韓国語の中の条件異音もある。キムチと発音するキムチだが、水キムチを韓国人が発音すると、藤井氏が指摘するように私にもムルギムチに聞こえる。韓国人は自覚していないが、語のはじめでは清音となる語が、語の中で使われると濁音化するという条件異音が、韓国語の中にもあるという例だ。

 

写真は、全州の慶基殿にあった李朝第4代世宗大王の肖像画である。この世宗大王がハングル文字を作らせ、それを訓民正音として公布したのが1446年である。その際、朝鮮語の音韻を分析し、口の中の舌の位置を示すように母音を表記した。ハングルの発音は翌年に公布された東国正韻によって明文化された。

 

藤井氏の本を読んで、古代の帰化人は日本語ではない言葉を話していたと思うようになった。多分百済語なのだろうが、それが今のハングルと同じかというと、800年もの間があるので何とも言えない。

 

参考文献

1)藤井游惟:白村江敗戦と上代特殊仮名遣い、リフレ出版、2007



コメント

_ 藤井游惟 ― 2010年06月06日 23時58分29秒

フライペン様
「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い」の著者、藤井游惟です。
拙著のご紹介とご評価ありがとう御座います。
フライペン様のように私の真意を誤解・歪曲なしに客観的に伝える書評は少なく、感謝申し上げます。
お知り合いやお店の方々にも拙著をご紹介頂ければ幸いです。

さて、このほど下記のような講演会に呼ばれました。

九州の歴史と文化を楽しむ会 第27回例会
日時:6月19日(土)15時~17時
講演:藤井游惟
題目:白村江敗戦と上代特殊仮名遣い
会場:三田春日神社社務所 慶応大学東門並び JR田町下車
会費:500円
            連絡先 菊池秀夫
            090-9238-5591

古代史ファンが20~30人程度集まるだけの小さな会ですが、時間がたっぷり2時間あるため、非専門家にも分かるよう音声学や国語学の基礎から初めて、十分な説明が出来ます。
お時間がありましたら(土曜ですからお店がお忙しいでしょうが)、是非お越しください。

また、お店の常連さんなどで興味をお持ちの方には是非おすすめください。
宜しくお願い申し上げます。

藤井游惟

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