のむけはえぐすり その5 ガス灯の記念碑2006年08月16日 23時23分13秒


のむけはえぐすり 第23弾 原善三郎
 その5 ガス灯の記念碑

 明治8年(1875)、48才になった善三郎は、県庁の役人と対立する。
 
 その年、横浜で最初の地方議会選挙、第一大区代議員選挙が行われ、善三郎は区議会議員となる。初代の区議会議長には高島嘉右衛門さん、善三郎は二人の副議長のうちの一人に選ばれる。選挙権は不動産租税を20円以上納める20歳以上の男子に与えられている。大商人達が多いこの選挙区では、初めから当確が出ていたようなものだ。
 区議会が始まるや否や、待っていたかのように問題が勃発する。歩合金事件とガス局事件である。
 
 もともと公共事業は、商人達が町会所で自主的に集めた歩合金でまかなわれていた。それを県庁の役人がもっともらしい名目をつけて横取りしようとしたのが、歩合金事件である。県庁の役人のお先棒を担いだのが、区長で同じ実業家の高島嘉右衛門さんというから話はややこしい。

 これに先立つ明治5年(1872)、今の本町小学校の敷地内に「ガス社中」という瓦斯(ガス)会社ができた。そこから大江橋を渡ってガスが送られ、馬車道から本町通にかけて、初めてのガス灯がともされる。写真は、馬車道の関内ホールの横にある、ガス灯の記念碑である。イギリスのグラスゴーで作られたと記されている。
 
 この民間のガス会社は間もなく経営難に陥り、町会所に譲渡されてガス局となる。
 ほとぼりが冷めた頃、当時の区長がガス会社の元社長に、創業功労金として1万3500円もの大金を勝手に上げてしまう。これに怒った人たちが区長達を訴えたのが、ガス局事件である。
 
 そのガス会社の社長が高島嘉右衛門さんだったから、ややこしい話の全貌が見えてくる。最終的には、善三郎らの仲介で、高島さんが贈与金も返します、ガス局とは今後一切関係しませんということで、一件落着を見た。

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