のむけはえぐすり 第103弾 原善三郎の話 その81 香港マカオ取材旅行 香港医学博物館2008年09月10日 21時13分07秒

煉瓦で作られた香港醫学博物館

のむけはえぐすり  第103弾

原善三郎の話 その81 香港マカオ取材旅行 香港医学博物館

 

14世紀頃、ヨーロッパではネズミについたノミによって媒介されるペストが流行し、人口の3割が失われた。「ハメルーンの笛吹き男」という童話は、その頃の話だろう。ネズミに困り果てたハメルーンの人々は、旅の男にネズミ退治を依頼する。男は笛を吹いて町中のネズミを誘い出し、川で溺れさせた。町の人々が報酬を渋ると、男は町中の子供たちを笛で誘い出してどこかに連れて行ってしまったという話だ。

 

何とも気味の悪いこの話は、ペストの猛威が町中の子供を失うことに匹敵するほど凄まじいものであることを暗示している。原因がよく分からなくても、ネズミの死骸が目立つと次は人間に来るという程度の認識は、当時の人々にもあったのだろう。

 

そのようなペストの流行が中世の話だと思っていたら、1894年の香港にもあった。その時に北里柴三郎さんが率いる日本人医師グループがやって来て、ペストの病原菌を発見し、多くの人の命を救った。その時の教訓から設立された香港微生物研究所が、現在も香港醫学博物館として残されている。

 

場所は中環駅から銅鑼湾駅とは反対方向の隣の駅、上環で降りて山の方へ歩く。この辺りは今の香港ができた頃に中国人が住み着いた場所で、かつての商業の中心街だった。

 

地下鉄から地上に出ると、そこはもう中国そのもの、赤い柱と看板の海産物問屋が並ぶ。店先には貝柱やら牡蠣やらの乾物が並べられ、粒が大きい上物には日本宗谷産と書かれている。店内を覗くと、箱に並べられたツバメの巣が売られている。中には、ツバメの巣の不純物を店先で取り除いている所もあり、その雑さが何とも中国的で圧倒される。

 

右の永楽街に入ると、今度は漢方薬の問屋が並ぶ。木や草の根っ子が店先に積み上げられ、朝鮮人参の匂いが街に溢れている。その先の坂を上ると、かつての貧民窟が今は骨董屋となって並ぶ。モーロション街(Upper Lascar Row)だ。何でも売る店先で、中国の勲章やら毛沢東語録と一緒に、緑の腕輪やネックレスが並んでいる。翡翠といいたいのだが、テレビ番組「なんでも鑑定団」での中国の古物の惨敗ぶりを見ていると、どうにも素直になれない。吹っかけられた値段の交渉をするエネルギーもない。

 

店先の小物にまで半身な姿で眺めながら、急坂を上る。荷李活道(Hollywood St.)には、いわゆる骨董品や工芸品が陳列されている。これこそ「なんでも鑑定団」の現場とばかりに、眺めるだけでただ通り過ぎる。

 

その角にあるのが文武廟(マンモウミウ)。香港最古の文武の神様を祭る寺院だ。中に入ると、信者が長いお線香を捧げ持って何やら熱心に祈っている。隣では白人のお嬢さんがお線香に火をつけただけで、一心不乱にただ燃やしている。一回火を付けたら何日も持ちそうな巨大な渦巻き型のお線香が天井から吊られ、煙を出している。その煙が廟内を薄暗くして、荘厳というよりは、むしろ煙い。

 

さて、文武廟横の坂を上ると、写真のような煉瓦で作られた香港醫学博物館がある。クレゾールの消毒液が匂いそうな白一色の部屋には、ペストが流行した当時の香港がパネルで紹介されている。1894年の香港の人口は246000人で、その96%を占める中国人は先ほど通ってきた辺りを中心に住んでいた。1864年から30年間に人口は倍増し、住宅不足で、豚と一緒に生活するような劣悪な衛生環境にあった。その中で、1894年にペストが流行したと言う。

 

ペスト菌は、その年に日本の国立伝染病研究所から香港に派遣された北里柴三郎さんによって発見された。それはそうなのだが、と註釈がある。柴三郎さんは4人の医師の手助けを受けたが、同じ頃、中国人のYersinさんが一人でペスト菌を発見したと書かれている。第1発見者として名前を残せなかったのは残念だが、そんな話は柴三郎さんにもある。ジフテリアと破傷風の免疫療法の有効性を世に出したのは柴三郎さんと共同研究者のベーリングさんだが、なぜか第1回ノーベル医学賞を受賞したのはベーリングさんだけだった。

 

ペスト菌の発見には、1884年にデンマークの学者Christian Gramさんが発明したGram染色が貢献しただろう。Gram染色によって紫色に染まる細菌をグラム陽性菌、染まらずにピンクに見えるものをグラム陰性菌と呼び、今でも分類に使われている。色素に染まるか染まらないかの細胞壁の性質が、そのまま病態の違いや抗生物質の効き具合に反映している。そういう意味では、ペスト菌はやっかいなグラム陰性菌の方に属しているが、幸い今は有効な抗生物質があり、日本では1926年以後発生していない。    

静寂な館内に小学生らしい子供たちの一団が、誰かに連れられてやって来た。笛の音は聞こえない。騒がしくなった館内から逃げ出すように外に出ると、暑い日差しの中、一瞬にして「香港の汗かき男」になった。

F-cup:9月14日(日)立野クラシックは 9時29分スタート2008年09月10日 21時18分46秒

2007年9月太平洋クラブにて

9月14日(日)立野クラシックは 9時29分スタートです。

天気も今回は良さそうですよ。

フライペンの引っ越しまで後一週間になるわけですが・・・・頑張ろう!

今回は久しぶりに10組です。これでまた優勝が分からなくなったな・・・万馬券だ(^_^)

写真は昨年9月の太平洋クラブです。